ストレスフリーを目指すブログ

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認知症検査を受けることになった話

今のところお世話になっているパート先の会社が休業状態なので週一で実家に通うことができていますが、業務本格再開する予定の春以降はどうなることやら…母はこれまで通り週一で来て欲しいと言っています。会社側も両親の状況は知っていてある程度理解してくれていますので週4日勤務が可能かどうか相談してみようと思います。

先のことなので何が起こるか分かりませんが、日に日に父の認知症は進んでいて母のストレスが大変なことになっています。父が分けわからない意味不明なことを突如言い出すので母が混乱するのです。例えばこんな感じ

父「今役所が大変だから私が行かないと収拾つかない」

母「もう現役引退してて責任ないから行く必要ない」

父「責任あるんです!行かないと」

母「行くってどこに?」

父「役所に決まってるでしょ、スーツ出して」

こんなやり取りが永遠に続いて最後は離婚騒動になるらしいです。”離婚”と言っても本気の離婚ではなく売り言葉に買い言葉。父にも母にも離婚する気はサラサラありません。というのも母はいつも「看取るまで死ねない、残して死ねない」と言っているから分かります。何があっても最後まで添い遂げる覚悟はあるように思います。

仕事一筋の父です。子育て中の若い頃は父は長期海外出張などで不在にすることが多く、日本にいるときでさえ帰りは私たちが寝た後で平日一緒に夕食を食べることはほぼ皆無のワンオペ状態で大変な時もあったかもしれませんが、子育て終了後は何不自由なく無干渉で好き放題自由を満喫した母です。父には感謝しかない、と常々言っています。だから今は50年数年間の恩返しのつもりで父の介護をしているそうです。

未だ父の頭の中では現役バリバリの役所のトップらしいです。もう退職して20年も経つのに…仕事人間でしたから呆けても働いているのでしょうね…父の妄想は多岐にわたります。海外出張、会議、別宅避難、コンビニエンスストアの閉店、戦争終結、温泉旅行…、部下との会食、最近はテレビで見ていることがそのまま話しになることも多く、例えば大相撲を見ている最中に「相撲協会に抗議しに行く」とか突然言い出すこともあるようで母はそのたびに混乱しているようです。

私が朝訪ねて「おはよう、お父さん、体調どう?」と聞くといきなり「別宅へ行くのは簡単なんだよ」と父。はー、今日は別宅の話か…と思いつつ「そうなの?」と話を合わせると父は「そうなんだよ、簡単なんだよ」と言ったきり黙り込んでしまいました。結局自分でも話をしたものの訳分からなくなっているのだと思います。だから話を合わされると困ってしまう、否定されると思っているので拍子抜けするのかな?

母の場合「どこに別宅があるの?家はここだけでしょ、別宅なんてない」と頭から否定してしまう。で父も対抗して言い争いになるのだと思います。ボケている人にボケ、と言ってはダメなのだと思います。「役所に行かないと」と言い出したら「うん、そうだね」と言って付き合うくらいの心の余裕があればいいのですけどね、それもなかなか難しいですよね。家を出たところで行くところがないのですから、それ以上どうしようもないですから…

前に別宅云々言い始めた時、仕方なく一緒に出掛けたらしいですけど、なんてことない近所をぐるっと一周してコンビニ寄って帰ってきただけだったらしいです。帰宅後母が「別宅なんてないでしょ」と言ったら父は「別宅?何のこと?」不思議そうな顔をしていたそうです。ということは、別宅云々言った記憶がそもそも父にはなかった、という証拠だと思います。

自分の発言したことの記憶がすっぽり抜け落ちる症状、年相応の認知機能の衰えなのでしょうけど症状がどんどん酷くなっているので、家族で相談して認知症検査を受けてもらうことにしました。父の様子を伺いながら夢見がちで頭がカチカチな時に認知症検査なんて一言でも言えば激高するのは目に見えてますのでタイミングが大切です。

私が初めて父のボケ症状を見た時の衝撃は忘れられません。ブログでも書いていますが、あれから数年、どこか遠くへ行ってしまう頻度は日に日に増しています。その時の話は過去記事で。それ以来父は夢と現実の狭間でウロウロしています。

u-tantantan.hatenablog.com

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一つ救いがあるとすれば、「あなた誰?」と言われないことかな。ちゃんと私を娘だと認識してくれるし、母のことも姉のことも兄のことも家族のことは忘れないでいてくれる、それだけで十分です。頻繁にどこか意識が遠くへ行ったとしても戻ってきてくれるので別にいい。誰かに迷惑をかけるわけでもないし、正気に戻った時に混乱して固まってしまう父の姿を見ると切なくなりますが、頭のいい父のことです。自分がおかしくなってきていることを自覚しているのだと私は感じます。

自分は認知症であると認めたくない、信じたくない自分がいる、でも確実におかしいと感じることがある、父の頭の中でものすごい葛藤があるのだと思います。

父が調子のいい時(ボケ症状が出ていない時)に認知症検査を勧めると抵抗されるかと思ってのですが意外や意外すんなり承諾してくれました。やはり自分でも怪しいと感じることがあるのだと思います。介護認定を受けて登録をすることでいざ何かあった時にも話が通じる状態にしておくことが重要だと考えたのかも知れません。

後日認知症検査のお知らせ書類が郵便が届いたときは「認知症検査なんてぜったい受けない」とまた頑なな態度に戻ってしまいましたが、認知症検査とは言わずに「面会に役所の人が来たよ」と言うしかないな、という感じです。

状況は日々変化します。2年前認知症の症状が出始めたころとは状況がまったく違います。もう自分たちだけで解決できる段階ではなくなりました。次のステージに移行です。老々介護は孤独ですからね、色々な人を巻き込んで手を煩わすことにはなりますが、そのための役所ですから。人に頼ることも必要です。でないと父よりも母のほうが先にストレスで壊れてしまいます。

母はこれまで”苦しい”と思ったことは未だかつてなかったそうで83歳にして初めて経験するそうです。兄が交通事故で亡くなった時は”悲しくて悔しい”という感情だったそうです。私は20歳の時に就職活動で”苦しい”を経験しましたから…苦しいことに関しては母よりずっと免疫があるわけで先輩です。苦しみから逃れるために私は酒に溺れましたが母に酒を飲めとも言えず、どうしたものかと悩みます。でも83歳になるまで”苦しい”と思ったことが一度もなかったというのも驚く話ですけどね。

真面目過ぎる四角四面な性格が母を苦しめているのかな?もっとちゃらんぽらんでいいのに、すべてを真正面から受け止めるから疲れるのだと思います。適当に受け流す術を覚えればラクになると思うのですが。正直者で真面目が母の長所ではあるのですが、いかんせん度が過ぎる。父の突拍子のない的外れな話も否定するのではなく、そうね、そうね、と肯定して付き合ってあげると父も次第におかしいと気づいて戻ってきてくれると思うのですけど…

母が否定して父に納得して欲しいと口調をキツクして言えば言うほど父は意固地になり憤慨する悪循環。結局母のストレスは、母自身の言動が父をイラつかせ追い込んでいる結果でしかないと私は思うのです。普段の父は穏やかですから。私に対して怒ったりすることはありません。母から聞く父の話が嘘みたいです。

「父に納得させようと思わない方が得策」何度も母に言っているのですが母もかなり頑固なので聞く耳持たずです。いっそのこと父だけでなく二人同時に認知症検査したらどうかと思うのですけど…、母に提案すると「私は呆けてない!」と父と同じことを言います。結局それって呆けてる証拠じゃない?

家族以外に相談できる人が複数いたほうが何かと心強い。父が認知症検査に応じるかどうか不安はありますが、とりあえず来週くらいに訪問があるらしいのでどういう判断がされるか、どのような援助が得られるのか?どういった支援サービスがあるのか?これからが大変だと思います。認知症を患った父をどうするか?家族で覚悟を決めないといけない時期になったのだと痛感しています。

毎日父が何を言い出すか戦々恐々の日々を送る母、毎回父が意味不明なことを言い出す度に過剰反応してしまいヒステリックにキツイ口調で否定してしまう母。母がストレスに押し潰されてしまうのではないかと心配でなりません。

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ストレス発散方法を知らないことも問題なのかな、と感じています。7年前の兄の死に続いて人生2回目の試練を迎えている母です。父より先に母に逝かれては大変です。父の介護をする母を支えることが私の役目なのだと思って頑張ります。

お読みいただきありがとうございました。