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介護疲れの母を案じる話

父の年一回の外科外来診察に同行して先生の話を聞くために、遠方に住む姉が帰省しました。前回の帰省が昨年の秋頃だったので、半年ぶりくらいになります。姉は5泊の予定で先週から来ていました。姉と会うのも久しぶりですし、ゆっくりしたかったので、夫の許可をもらって一泊だけ実家に泊まることにしました。

まずは外科外来のために病院へ行きます。病院での母は一人テンパり状態。なんでそんなに興奮しているのかが意味不明なのですが、とにかくずっと父の世話を焼いています。放置してほしい父と世話をしたい母、夫婦の仁義なき戦いが続きます。

そんな両親を横目に娘二人は半分呆れながら見ていましたが、とうとう母の疲労がピークに達し撃沈。診察待ちの父のことは姉に任せ、張り切り過ぎたのか「疲れた」という母をを父から引き離し病院ロビーに連れ出しました。

「お父さんはお姉ちゃんに任せておけば大丈夫だから、そんなにテンパらないで少し休みな」コーヒーを買ってきて一息つかせます。2年前に父が尿路感染が原因で高熱を出し救急搬送された病院でも同じようなことがあったのですが、その時のパニック状態も凄かったです。年を追うごとにパニック状態になる頻度が増している母です。最近では自分の思い通りにいかないと興奮して癇癪を起すという感じです。

あの時は救急搬送だったので、当然遠方にいる姉は来ることができず、私と夫が病院に駆けつけたのですが、コロナ禍ということもあり救急口に到着した時も、なかなか病院内に入れてもらえない状況で母はパニック状態でした。

「後は私たちに任せて、お母さんは落ち着いて」何度言っても聞く耳持たず。「あんたには任せられない、私が説明しないと」と一歩も引かない母。自分一人でやれるなら、なんて私たちを呼びつけたのさ、一緒に来てくれた夫にも失礼じゃない、カッチーンと頭に来ましたが父の顔も見たかったし、黙って耐えていました。

やっと父に会えて先生から症状の説明を受けた時も、何度もしつこく同じ質問を繰り返す母に、夜間診療対応した当直の先生も辟易して最後はキレ気味になったので、これはヤバい、と思い、母をその場から強制退出させたほど極度の興奮状態でした。”かかりつけ病院に転院させる”、の一点張り。あの時の母の態度は救急搬送先に対して失礼だし応対してくれた先生にも申し訳なく穴があったら入りたい気分でした。

側で様子を見ていた夫も唖然としていました。「あなたも将来あんなふうになるのかね…」と愕然としていました。夫はあの時の母の姿に私の未来を重ねたのかもしれません。ああいう風にはなりたくないな、と思っても80を超えたら自然とああなるのかな。

同じ血が流れてるし、なりたくない、と思っても血は争えない結果になるのだろうか…。一抹の不安を感じてしまいました。年を取るのは順繰りだから仕方ないけど、ああならないよう気を付けたいと思います。

【老いては、子に従え】さんざん私に説教され教訓として言葉を胸に刻んだようですが、やっぱり喉元過ぎれば、ですぐ忘れるのです。パニックに陥るたびに呪文のようにその言葉を唱えます。今回も一人でパニックになり疲労困憊グッタリ撃沈する母の様子を姉と二人で見ていて、父より母の方が心配だ、という意見で一致しました。

体力的には父の方が弱いけど、精神的には母の方が危険、そういう二人の見解です。肉体を病むことと精神を病むこと。どちらが深刻であるか?は一目瞭然です。肉体は病んでも回復できる(できない場合もありますけど)けど、精神の回復は難しい。

精神崩壊とまではいってないと思いたいですが、やはり父の介護がかなり精神的負担になっていると言わざる得ないと思います。母がパニックになりヒステリー状態で父に物事を押し付けると父も対抗して頑なになる。父が反抗するので母もヒステリー度を増す。仁義なき戦いに発展するわけです。

「お母さんの口調がキツイ、もっと優しく喋ればお父さんも言う事聞くのに」父は、私や姉が言う事には素直に従うのです。だから、言い方をソフトに優しくすれば父の態度は軟化するのは分かっているのです。

でも姉は言います。一週間に一度しか来ない私と毎日四六時中一緒にいる母との負担度は比較にならない。母が父にイライラして優しくできないのも理解できる。

姉の言うことも一理ある。みんな正しい。普段私が母に感じるイライラを母も父に感じているのだと思います。かくいう自分も、母に優しくしなきゃ、という思いと裏腹に口調がキツクなってしまう、母のことを責められたものではありません。父には優しくできるのに、母にはついついキツク言ってしまう。毎回反省するのにまた同じことを繰り返すあたり、やはりここでも親子の血を感じてしまいます。

少しでも母の負担を減らそう。一晩だけでも父の介護から解放させてあげよう、ということで、昨晩は母一人で休んでもらいました。普段父と母は襖を隔てて隣の部屋で寝ています。夜中でも異変を感じ取れるように父の側で寝ているのですが、今回は娘二人がいるということで、一人でゆっくり寝てもらうことにしました。

私と姉は、というと、父と襖を隔てた親子川の字で寝ました。左に父、襖を挟んで中央に私、右に姉の親子変則川の字です。病院から帰宅して、夕飯の買い出し。16時に夕食を食べるなら一本だけ飲んでいい、との母からのお許しが出たので、500一本で晩酌。21時には就寝しました。アルコールを飲んだら12時間は運転して欲しくないのだそうで、早朝6時出発だと逆算で夕方6時には飲み終えろ、という理屈らしい。

25年以上昔の話。若い頃はビール一杯くらいだと二時間カラオケで歌いまくったら平気、平気、と運転して帰っていました。今考えると恐ろしいです。人によってですが、酒に強いアルコール体質の人でも体から抜けるのに4時間必要だと言われているので完璧アウトでした。勿論、飲酒運転が社会問題になってからは当然ですがやっていません。もう時効ですよね…。若気の至りです。誰かを傷つけなくて良かった。厳罰化されても一向に減らない飲酒運転。運転し慣れた道だし、少しの距離だし、ちょっとそこまで…、という油断なのでしょうか。

アルコールの力で寝つきは良かったのですが、ビールを飲むと夜中に尿意がやってくるのは常。トイレに起きてからは両脇から交互に響き渡る父と姉のイビキに悩まされ一睡もできませんでした。私のイビキに悩まされ眠れずに悩む夫の気持ちが分かりました。

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渋滞回避のため早朝に新幹線で帰る姉を駅に送りながら自宅へ戻ってきました。久々にゆっくり姉と話ができて嬉しかったです。姉も私や母から聞く情報しかないので、実際に父と会って話をしてみて症状を確かめることができたのでホッとしている様子でした。母は話を盛る傾向があるので、大分大袈裟に話をしていたようでした。

父の解離性障害は薬の副作用で年相応の認知機能の衰えはあるものの、頭はボケてはいないし問題ないと思う、父に比べると母の介護疲れのほうが深刻だ、と姉は言います。

バスの乗降も手摺なしでは不可能なようですし、母本人も80代になってから急激な体力の衰えを感じているようです。

年々白内障も酷くなっているようで、2.0あった視力も今や5メートル先の人を判別するのも辛そうです。眼鏡を作ることを提案しましたが、生活に支障がないから必要ない、と頑として拒否されました。見えているから大丈夫、と言っている割には図書館で本を選ぶ際、本のタイトルが読めない、と嘆いていました。生活に支障が出ていないとは言い難いのですが頑固なので何言っても聞きません。時々、目の霞が酷くなり霧がかかったように見えなくなるみたいです。ドライアイが原因なのか時々襲ってくる目の痛みもあるそうで心配です。

母が倒れたら父の施設行はほぼ決定だと思われます。父を自宅で介護するためにも母には元気でいてもらわなくてはなりません。父の介護をする母のフォロー、少しでも母の精神的負担を軽減すること。母の愚痴話に耳を傾け寄り添う事。遠方にいる姉は電話でひたすら話を聞く役目、近くにいる私は買い物や料理などの家事手伝いと病院への送り迎えなどが役目。二人でできることが違うので、それぞれができることをやるしかないです。コロナ禍が落ち着いてきたので姉も帰省頻度が増すと思うので頼りになります。

娘二人、父を介護する母を支えていこうと思います。

お読みいただきありがとうございました。