ストレスフリーを目指すブログ

穏やかに健やかに暮らしたい

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認知症と向き合う話

父の認知機能が低下している。現在85才。

父は癌サバイバーで障害持ちです。障害者等級は一番軽いものですが、一応障害手帳は持っています。膀胱全摘出で尿ストマを付けています。癌は膀胱ではなく大腸にできたものでしたが、大腸の腫瘍が大きくなりすぎて健康な膀胱を押し潰してしまったためです。手術次第では大腸もストマになる可能性がありましたが、なんとか大腸ストマは付けずに腫瘍切除後に繋げてくれました。父の病気の話は別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

カテーテル交換が月イチペースで必要なのですが、その記憶をまるまる失ってしまいました。先週のカテーテル交換の日、私が車の準備をして父を迎えに行くと、父が不思議そうに言います。どうやら年一回の経過観察(外科外来)と勘違いしているようです。

父「今日はお母さんが一緒じゃないの?先生の話横で聞いてるだけでいいからね」

私「何のこと?今日はカテーテル交換の日だよ、お母さんはいつも行かないじゃん」

父「外科外来じゃないの?」

私「外科は年一回でしょ、今日は泌尿器科で毎月のカテーテル交換だよ」

父「毎月?そうなの?覚えてないな…」

私「・・・」(動揺してパニックになる)

病院に行くまでの車の運転も冷静に、冷静に、と思いながらもドキドキが止まらず、いつもなら病院玄関前で父だけ降車して一人で受付をするのですが、その時はさすがに心配で一緒に受付をしました。

レントゲン室の前で待機をしている時に、思い出したかどうか聞いてみたが「わからない、思い出せない」とのこと。ここ10年以上毎月一緒に通っていたのにその記憶がまるまる失われているのだ。看護師さんに父の記憶がないこと、カテーテル交換することももしかしたら分かっていないかも知れないことを伝えました。

カテーテル交換が終わり先生が仰るには以下の理由から年齢相応の記憶障害でしょう、とのことでした。

  1. 自分の名前、生年月日が言えること
  2. 家族(同行者の私)を認識できること
  3. 今病院にいる状況を理解しカテーテル交換に応じたこと
  4. 普通に会話ができて意思疎通ができていること
  5. 暴れたり危害をくわえるような兆候が見られないこと

これから思い出すかもしれないし、一生思い出さないかも知れません。今回のカテーテル交換の記憶が消えたことは、認知機能低下をまざまざと見せつけられた感じでした。いままでも色々おかしいなと思うことは多々ありましたが、認めたくない想いが強かったせいかあまり深刻に考えていませんでした。

これからは家族全員で父は認知症が進んでいるという共通認識を持って付き合うようにしないといけない。病院で会計を待っている時に父が私に言いました。

「思い出せないって不安だな」

ショックでした。父から初めて聞いた「不安」という言葉。思わず”大丈夫だよ”と言っていました。

「年相応の認知機能低下だよ。カテーテル交換の記憶がなくなったとしても、私のことも分かるし、今日だってちゃんとカテーテル交換できたでしょ」

大丈夫、大丈夫、父に言いながら自分にも”大丈夫”を言い聞かせる。動揺は隠せない。とりあえず、帰りの車の運転に影響して事故でも起こしたら大変と平静を保つ努力をしながら家路に急ぐ。遠方に住む姉に電話するも留守電。「お父さん大変、記憶喪失」残すメッセージも慌てている。留守電に加えてメールするも内容が慌てている。「いつでもいいから電気ちょうだい」いや、電気じゃない、電話だし。相当な動揺の仕方だ。

無事に父を家に送り届け母に事の顛末を話す。母も動揺して涙ぐんだ。呆然と立ち尽くすことが多くなった父に発破をかけることが日常茶飯事になっていた母はそれが認知症の兆候であることは薄々は気づいていたものの、ここまではっきり記憶が戻らないことは今までなかったからだ。

車の運転に気を付けて必死に考えないようにして家に帰ると姉からメールが入っていた。夫が帰宅する前に急いで姉へ電話する。姉曰く認知症が進んでいるとのこと。認知症の症状を遅らせる薬はあるけど、その薬を処方するには認知症の診断がないと出せないとのこと。(因みに姉と義兄は医者)父はプライドがあるのか認知症診断を受けることには否定的だ。自分が認知症であることを認めたくないのだろう。

認知症になっても徘徊とか誰かに危害を加えたり怒鳴ったりするようにならない限りこのまま見守るしかないとのこと。認知症になると性格変貌して攻撃的になってしまう人もいるけど、父の場合そういった傾向はなく、いたって穏やかなので傍から見ると認知症だとは思えないのだ。先生も「いたって普通にコミュニケーションが取れているので今すぐどうこうする必要はないと思いますよ」と言ってくれました。

少なくても私のこと、家族のことが認識できて、性格が穏やかで徘徊さえしなければ、過去の記憶を失ったとしても何の問題もない、そう言い聞かせることにした。一番気がかりなのは、私以上に父本人が不安を感じていることだ。

父が不安に苛まれて落ち込んで悩んで塞ぎ込んでしまう事。しっかりものの父なので、記憶が消えていくことに人一倍恐怖を感じていると思います。姉とも話しましたが父の行動に関してガヤガヤ責め立てないこと。何度も何度も丁寧に丁寧に言い聞かせること。納得するまで付き合ってあげること。家族が出来ることは”大丈夫”と言って見守ること、父が記憶を失くしたとしても幸せであればいい、そう思うようにします。

母に反抗して父が癇癪を起して散歩を強行するようなことがあったら、必ずGPSをポケットに忍ばせることを母にお願いしました。父は癌に加え心臓も手術しているので外出時は必ず発作時用の舌下錠を持つことになっているので、その薬とGPSを一緒の巾着袋に入れて玄関に置いています。ゴールデンウィークの3時間散歩事件でGPSを購入しました。散歩事件に関しては別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

「散歩するときは一緒に行く」母は常に父と行動を共にすることを覚悟したようだ。母のその覚悟が心配でもある。母も81才です。心的ストレスは逆流性食道炎を悪化させる可能性もあります。GPSがあれば居所確認できるからGPSさえ忘れずに持たせれば大丈夫、そう言い聞かせていますが母も頑固で聞きません。GPSAmazonで購入しました

年を取るにつれ頑固さが増しているような気がします。父の認知症が進むと母の負担も増えていきます。尿ストマの世話に加え認知症。私にできることは週一回の実家訪問と母のストレス軽減、老々介護の母を支えること。これに尽きると思います。

老害になって周囲に迷惑をかけなければ、あわよくば家族のことは忘れないでいてくれればいう事はないのですが、本人が穏やかで幸せでストレスなく過ごせればいいな、そう思います。

年を取ることはそういうこと。なんか寂しさを感じる週末でした。

お読みいただきありがとうございました。