ストレスフリーを目指すブログ

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姉が結婚したときの話

姉が義母から結婚祝いでもらったヴィトンのアルマは義母が亡くなった年に売ったそうです。実家に置いてあると思ったのですがどうやら母にも私にも要らない、と断られて渋々持って帰ったようでした。今思えば貰っておけば良かったけど、当時の私はあまりブランド品には興味がなかったので。と言うかヴィトンを持ってお出掛けするようなシチュエーションもなかったですしね…ヴィトンのアルマに見合う服装もしてなかったし…

ほぼ未使用だったヴィトンの買い取り価格は10万円だったそうです。もっと高く買い取って貰えそうですけどね…ブランド品の価値に疎い姉は即決したそうです。そしてヴィトンよりも高かったのが同じく義母からのプレゼントだった腕時計、なんと50万円だったそうです。時計の価値も全然分かりませんね…ブランド名、聞いたけど忘れてしまいました。ロレックスでないのは確かなんだけど…スイスの時計ブランドって言っていたような…。調べてみるとスイスのブランドも色々ありますね…ん?パティックフィリップとか言っていたような…勘違いかな?もしパティックフィリップだとしたら50万では安すぎますね。もう一度ブランド名聞いてみよう。

義兄の実家はかなりの資産家、姉はいいとこの坊ちゃんと結婚したわけですよ…義兄の父は開業医で個人病院経営していたらしいです。今は病院をたたみ廃屋状態みたいです。先にお父さんが亡くなりその後お母さんが亡くなって住人がいなくなった実家の病院には部屋がいくつもあり、エアコンが10台くらいあったそうです。ビックリですよね。取り壊そうと思ったら医療器具や医薬品、劇薬の処分が大変らしく県に譲渡しようと思ったら妹夫婦の横やりが入り義兄は相続放棄したらしいです。廃病院は未だ取り壊されること無く残っているそうです。幽霊屋敷みたいでご近所も迷惑しているのではないでしょうか…

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義母が存命中、姉が実家に帰省している頃から二階には動物が棲みついている気配があったようなので、誰も住んでいない病院は動物の住処になり糞尿でどんどん朽ち果てていくでしょうね…そうそう、義母が存命中は義兄は毎日電話をしていたそうです。それも毎回長電話で平均一時間は話していたそうです。母親とそんな話すことある?まあ、優しい義兄のことだからお母さんの愚痴話をずっと黙って聞いてあげていたのでしょう。

年老いた実の母の話を聞くことくらい義兄にとっては何でもなかったのでしょうね。そんな義兄はもともと医師免許を持つ研究職。研究マニアで出世欲がなく助教どまり。教授が引退したのをきっかけに内科医になり、今も現役の内科医としてご老人達の良き話し相手になっているようです。まさに老害の人を相手に日々奮闘している、という感じなのかしら?知らんけど…そんな義兄は姉より10才年上で60代半ばです。義兄と最後に会ったのは兄の葬儀の時、もう7年も会っていませんが姉から様子を聞く限り元気でいるようです。そんな義兄は昨年秋に慢性硬膜下血腫になりました。

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結婚した当初は驚くことばかりでよく姉が愚痴っていたっけな…毎日実家に電話して一時間も話すんだよ、キモいよね、とか実家へ行くときはシャツイン必須で服装も色々ルールを押しつけられる、とか…。裕福な家へ嫁ぐのも大変なことなのだな、と姉を見てて思いました。地元ではちょっとした名家だったらしく、不釣り合いな姉に周囲でも厳しい目があったみたいです。嫁として相応しい身なりや服装を求められるとか…あー、ヤダヤダ。

洋服や持ち物に無頓着だった義兄の洋服は全てお母さんが購入したものみたいです。それも洋服はワンシーズンで終わりで翌年は着ないそうです。買い物は値札を見ない、飛行機はビジネス、新幹線も当然のようにグリーン。金持ちは違うわ…値段を気にせず生活できるってある意味羨ましい…税金云々、電気代高騰云々、ガソリン代や物価上昇、値上げラッシュでも金持ちにとっては痛くも痒くもないんだろうな…

お母さんが用意する洋服は高級ブランド品ばかり。そんな富裕層と結婚した姉は義兄の実家に帰省するたびにストレスで蕁麻疹が出ていたそうです。ブランド品に縁遠い超庶民派の姉にとってブランド志向の義実家は居心地が悪く窮屈だったのでしょう。そのお母さんが亡くなって遺産整理したときに例のヴィトンのアルマと腕時計を売ったみたいです。義母からのプレゼントを義母が亡くなってから売った、というのは初耳でした。義母と馬が合わないとは言え夫のお母さんからの贈り物ですから、流石の姉も義母が存命中に売ることは憚れたようですね。

姉と義兄が出会ったのは京都で開催された医学学会。そのとき義兄に見初められた姉は押しかけ女房ならぬ押しかけ旦那に絆されて結婚。京都に住む義兄の元へ嫁いでいったわけです。義兄は京都ですが、義兄の実家は佐賀の武雄、先祖代々のお墓は奈良、現在は東海地方で賃貸暮らし。佐賀の実家は妹さん夫婦が相続したので、義兄夫婦の終の棲家がどこになるのか?はまだ未定らしいです。

私個人的には両親が亡くなったら実家の家を相続して住んでくれると有り難いのですが…私も兄も家持ちですからね…隣の人がちょっと被害妄想が酷い人なのでそこが不安要素で気になっている様子です。お隣さん、また留守中に空き巣に入られたと騒いで鍵屋さんを呼んでいたようです。アタオカです。隣の人にやられました、とか言い出しかねないから怖いですよね。まあ近所でも結構アタオカで有名な人で駐在さんもマークしているようなので大丈夫と思いますけど…

姉夫婦の話をしたついでに面白い結婚前エピソードを少し…姉が結婚したのは20代後半、私が20代半ばくらいの頃だったと思います。当時はまだポケベル主流時代、勤務医だった姉が四六時中呼び出されていたのがポケベルだったのでよく覚えています。私はポケベルは持っておらず、流通し始めた携帯電話(当時はPHS)を買おうか悩んでいたら、姉が携帯電話を持っていたことに衝撃を受けました。いつの間に買ったの?と聞くと彼氏に持たされたと。なので今でも姉のスマホの契約者は義兄名義みたいです。義兄が姉のために自分名義の携帯を二台購入したわけですね。凄い執念というか…あの頃の義兄は姉が好きすぎて少しおかしくなっていたように思います。

あの時祖母が末期癌で亡くなったくらいだったと思います。用事があって祖母の家に寄るとリビングに知らない人(義兄)が何食わぬ顔して寛いでいました。あまりにも違和感なく昔からそこに住んでいるような馴染みっぷり、「妹さんですか?」と聞かれ思わず「そうですが、あなたは彼氏さんですか?」と返したことを今でも覚えています。驚きましたけど、第一印象は良かったです。

姉が仕事で不在中、祖母の家で独り留守番していたその時が忘れもしない私と義兄の初対面でした。京都に彼氏がいるとは聞いていましたけど、まさか仕事を休んで押しかけてくるとは姉もビックリしていたようです。義兄としては姉に会いたくて居ても立ってもいられなかったのでしょうね…

あまりの突然の訪問に困った姉は、思わず誰も居ない祖母の家に招き入れた、ということらしいです。あれだけ猛烈アピールされたら結婚するわな…もし姉が結婚に応じなければあのまま仕事を辞めて居座ったかも知れません。ひとときも姉から離れることなくついてくる義兄に辟易したこともありました。結婚に応じるまで帰りません、そんな義兄の強い意志を感じました。あれだけ求愛されたら誰でも絆されるわな。

あの頃の義兄はまるでストーカーみたいで私は少し恐怖を感じたこともありましたけど、今はすっかり穏やかになった優しい義兄です。姉のことが恋しくてたまらない様子の義兄は私に対しても嫉妬心丸出しでした。妹にまでヤキモチ焼くなんてまさに恋は盲目ですね…姉を取られた嫉妬心で39℃の高熱出した私も人のことは言えませんけど…

まあとにかく今となっては姉にあそこまで執着して付きまとったからこそ姉も折れて結婚したわけで…義兄には感謝しかないですね。ひとときも離れられなかった新婚当時では考えられないことですが、今は一人で何でも出来るようになったみたいです。

以前はカップ麵にお湯も注げなかったみたいです。てかカップ麵というものもあまり食べたことがない感じだったそうです。どうやら姉と出会う前に同棲していた女性がいたみたいですね。その女性が身の回りの世話をしてくれていたようです。

親がいるときは親に、彼女がいるときは彼女に世話をしてもらっていただろう義兄は、まさに箱入りお坊ちゃまそのもの。その義兄が今は一人で一週間留守番するのですから、ものすごい進化です。冷凍のお弁当シリーズがお気に入りみたいです。今色々な種類が出ていますね。冷凍食品の進化には目を見張ります。

金に苦労したことない義兄ですが全然嫌みではないところが私は好きです。たまたま裕福な家に生まれただけ。姉の影響もあって贅沢もしないようになったみたいですしね。人は一緒に居る人によって徐々に変化するものですね。身分の違いを乗り越え姉色に染まった義兄は庶民の仲間入りです。

ブランド品にもまったく興味なし、金に執着ないからホイホイと言い値で売ってしまう。人が良いというか…まあお金に苦労したことがないからなのでしょうけど。贅沢を贅沢だと思わないで普通だと思ってしまうところがたまに傷ですけど…まあ以前に比べれば庶民的になったとは言え、まだまだ庶民感覚からは少しズレていることは確かでしょうね。

さてさて、私のカルティエにはどんな値段がつくでしょうか?そしてキャッチで騙されて購入したココ山岡のダイヤモンドプラチナリングの査定額も気になるところです。これでお別れになるかも知れないダイヤモンドリング、思い出に写真に撮っておこう…

これから査定です。もうそろそろ約束の時間、と思ったら電話が来ました。まもなく到着だそうです。”おたからや”さん、どんな査定が出るでしょうか?楽しみです。

お読みいただきありがとうございました。