ストレスフリーを目指すブログ

穏やかに健やかに暮らしたい

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自分の人生振り返ってみる話

梅雨入りしてから曇り時々小雨みたいな天気が続いています。空はどんより、なんだかスカッとしない毎日が私の人生そのものみたい。以前は梅雨入りすると憂鬱な気分になりがちでしたが、最近はこのどんよりな感じが嫌いではないです。

またまたNHKBSプレミアムが良質ドラマを作ってくれました。天使の耳交通警察の夜、前編を見ました。土曜日午後10時から放送の2週連続前後編、犬神家と同じ枠です。地上波で見られないのが勿体ない。来週の後編にも期待。小芝風花さん出演ドラマを見るのは初でしたが演技がお上手な女優さんだと思います。

指導役のヤスケンさんとのコンビがとてもいい感じでした。俳優陣がいいと作品も引き締まります。ちびまる子ちゃん(子役)だった森迫ちゃんの彼氏役、どこかで見たことある顔だな、誰かな、と思ったらシッキン(shit kingz)のダンサーさん(オグリ)でした。嬉しい活躍です。踊らないオグリさんも普通にカッコいい。

交通事故被害者遺族としては交通事故関連のドラマや報道は今でも辛いものがありますが、6年という月日が徐々に心の痛みを和らげているのは事実です。兄が事故で亡くなった当初はショックでしばらく運転できない時期もありましたし、事故関連のニュースや交通事故を題材にしているドラマはまったく見ることができませんでした。

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もし自分が加害者になったら…、そんなことを考えると怖くて運転できなくなったのです。運転しなくてもいいかな、免許返納しようかな、と真剣に考えたこともありました。でも田舎では車は必需品、我が家付近も例外ではなく最寄りJR駅までの市バスはまったく使い物になりません。自家用車ありきの時刻表。殆どの人が自家用車を使うので利用する人がいなくなると当然間引き運転になる、過疎地域や田舎で起こる負の連鎖。車は金持の道楽は都会の話。田舎では死活問題。

運転したくなくても運転しないと暮らしていけない、田舎あるある。田舎住まいの高齢者が免許証の返納できない理由。義母も今年79才ですが免許返納の意思はないようです。嫁として”返納してください”と言いたいですが、”じゃあ、用事があるときに車出してくれる?”と言われてYESと言えるかどうか?そこが問題。

”返納してくれ”、と頼むなら、”必要な時は私が運転しますから”、という前置きが必要。その覚悟があればいいですけど私にはない。それに、私には義母より優先したい両親がいる。義母のことは同居している義兄夫婦に任せよう、という気持ちが強いです。

義母と義姉が上手くいかない理由は分かりませんが、想像するに、同居生活15年以上もの間義姉が自分で運転する車がなく自由に出かけることもできなかった、ということが原因かなと。四六時中義母と一緒にいたらそりゃストレス溜まるでしょう。

義兄は夫と同じく車大好き人間なので運転未熟な人にはハンドルを握らせたくないタイプ。私がそうであるように、義姉も義兄の車を拝借して運転する勇気はなかったのでしょう。義姉が自分専用の車を購入してからは自由を満喫している、そんな感じに見えます。それを良しとしない義母との対立が激化した、そんな構図だと思われます。

田舎暮らしには車がないと辛いと分かっているから、義母に免許返納してほしいけど無理強いはできない、そこが難しい悩ましい問題です。父が追突事故を起こして家族総出で免許返納をお願いした時、父は”免許を返納するということはすなわち現役を引退すること”と言って、免許返納と同時に仕事を辞めました。確か60才で定年退職して10年くらいは祖母が創立した養護学校で校長先生として働いていたと思うので免許返納は70才前後だったような気がします。

その後癌が見つかり手術して現在86才、今年の秋で87才になります。母は今年祖母が亡くなった同じ年齢の83才になりました。確か祖母が亡くなったのは私が東京での暮らしに挫折して田舎へ戻ってきた後の25歳前後だと記憶しているので、25年前くらいでしょうか。

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祖母に癌が見つかり手術したのはさらにその前、確か母が祖母の入院の世話で家を留守にしていた頃、東京で父と二人暮らしをしていた(精神的に病んでいた)のでよく覚えています。

逆算すると祖母は70代後半で癌摘出開腹手術したものの手の施しようがない全身転移で癌の切除はできずそのまま閉腹、退院後しばらく自宅介護で数年すごし、最後は倒れて病院で亡くなったと思います。その時の年齢が83才だったのでしょう。全身転移でも5年くらいは生きた、ということでしょう。

と考えると母は祖母の介護を50代半ばの5年間くらいやっていたのかな…。これからの私は、あの時の母のように、実家の面倒を見ながらの生活に突入していくのでしょう。長くてあと5~6年というところでしょうか…。短くなることも逆に長くなりこともあるでしょうけど、母が祖母の年齢に追いつくということはすなわち、私も祖母を介護していたあの頃の母の年齢に近づいている、ということになります。

卒業から20年以上経ち、中学の恩師を囲む会に参加した時も感じましたけど、あの当時の先生の年齢を超えてしまったことが信じられませんでした。中学生の頃の先生はすごく大人に見えたのに、今自分がその年になってみて、こんな感じ?という違和感。これって一生付き纏うものなのかな?60才になった時も同じ風に感じるのかな?

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30才の大台に乗った時も、あー、母はもう4人の子持ちでワンオペ子育て真っ最中、それに比べて私の30才って何もない…、とか思って情けない気持ちになって結婚できないことに絶望してたっけな…。40代の頃の母はそれこそ反抗期を迎えた子供達に対等に向き合い必死だったでしょう。50才で子供4人を育て上げ子育てが終わってからは祖母の介護をしていた母、何一つとっても母に敵うものはありません。

祖母が亡くなった年齢に自分が並んだことに母は感慨深げな様子でした。多分祖母を介護していた頃のこと、看取った時のことなどを思い出していたのだと思います。まさか自分達がこんなに長く生きるとは70代の頃には想像もしていなかったそうです。

東京オリンピック見たいからそれまでは死ねない、と父が言った時、ぶっちゃけ母も私も無理じゃない?って思っていましたから…。コロナで一年延期になってさらにもう2年、あれよあれよと平均寿命をとうに越えているのですから人生予想できないわけです。

母と比べると私の51才はかなり緩く穏やか。ゆるゆるとブログを書き、昔に思いを馳せ、当時の母を想う。51才の母はどんなだったっけ?こんなチャラチャラしてた?少なくとも私のようにディズニーリゾートに遊びに行くことはなかったかな。父が管理職になり時間が出来て頻繁に旅行して歩いていた時期かも知れません。私が旅行会社に就職したのでその関係で海外旅行にハマっていた頃かも知れません。

自分が母の年齢に達して分かる色々な苦労。若い頃は理解できなかったことも今この年齢になって分かります。両親には感謝しかありません。

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自分が子供の頃想像していた50代とは全く違う想定外の50代ですが、まあいいでしょう。これも人生。不惑の40代はグラグラ、知命の50代はゆるゆる、耳順の60代、従心の70代は、そして今の両親の年齢に達する頃は何を感じるのかな。

小さい頃の夢だった”普通の主婦”、夢が小さいこともさることながら、母になることも叶わなかったし、何一つ成し得ていないような気もしますが、ドンマイ。50年間を振り返ってみるとそれなりに面白い人生なのかも。

悪くない人生継続中。辛く悲しいことがあっても時が癒し解決してくれる、私の実体験。辛いことからは逃げまくり、苦しいと分かっている道はあえて選ばない、ダメダメな人生。努力嫌いだし何の取柄もない凡人だから仕方ない。

辛くても明日は来るし腹は減る。不思議ですけど何があってもお腹は減るのです。食べないと死ぬし寝ないと死ぬ。でも生命力って案外強い。飛行機墜落事故、ジャングルで40日生きた4人姉弟の話を見ても人間は食べて寝るを繰り返す限り簡単には死なないことが分かります。

究極ですけど、生きるとは、食べて寝ての繰り返しなのかな、って。極論ですけど。休日に横になりながらお菓子片手にテレビを見ていると「テレビ見て食べるか寝るかだね」と夫に自堕落な生活を突っ込まれて、だよね~なんて思わず納得しちゃいました。嫌味を言われてもスルーできる強み。

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梅雨みたいな人生でも嫌いじゃない。梅雨には梅雨の趣がある。梅雨って絶対必要だし。いつかは晴れるし。たまに古傷が痛むのもいいし感傷的な気分なるものいい。たまにこうやって過去のブログを読んで自分の人生振り返るのも悪くないです。特筆することはないけど悪くない人生だと実感することができるから。

お読みいただきありがとうございました。