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お盆になると湧いてくるワード

お盆の時期のニュースと言えば御巣鷹ですが、ネットで必ず話題に上るのがDQNの川流れ。1999年なのでもうあれから24年、助かった子供たちも30歳前後というところでしょうか…。最近では富士登山に軽装で入山する輩の大迷惑行為が話題ですが、こういう人たちを助けるために多くの税金が投入されているのか、と思うだけで沸々と怒りが湧いてきます。放っておけばいいのに、と思ってしまうのは鬼でしょうか…

マナーを守れない人がいると嫌ですね。入山にもお金を取って許可制にする時代かも知れません。それと、天気予報次第では入山させないとか、そういうことも視野に入れて考えないといけないと思います。本当は個人個人で判断すればいいのでしょうけど、今はそれが出来ない人が多すぎる。自然の猛威を侮ってはいけないと思います。

今回も台風が来ているのにも関わらず旅行を強行して電車が止まって帰れない、とか疲れたとか嘆いている人たちを見ていてなんだか悲しい気分になりました。これこそ想像力の欠如です。台風来てる、でもいっか、予約しちゃったしね、キャンセル料かかるし、大丈夫でしょ、という軽い気持ちなのでしょう。

そんな私たちも前半にキャンプを強行してしまいました。天気予報がヤバければキャンセルしようと思っていたのですが、どうやら大丈夫そうということで決行。一日目は台風の影響なく晴天。キャンプ場で無料イベントを開催していて思いがけずフェス気分で音楽を楽しんだり、キャンプファイヤーも楽しみ21時過ぎにはいい感じにほろ酔いでテントに入って就寝したのです。

ですが問題は二日目。明け方いきなりゲリラ豪雨。テントをバタバタと打つ雨音で目が覚めました。止むかな?と思ってしばらく様子を見ていたのですが本降りの様子。テント周辺が一気に水溜まりになり始め、これはマズイと急ぎ撤収作業に入りました。前日の天気予報では午前が曇りベース、午後から雨予報で崩れる予報だったので、朝食食べたらすぐチェックアウトする予定で粗方準備していたのでスムーズに撤収することができました。キャンプ場を出発する頃にはくるぶし当たりまで水没していました。

ゆっくりしていた人は大変な目にあっただろうな、と思いながら帰路につきました。やっぱり山の天気は変わりやすいし天気予報は当てになりません。何事も準備が大切。降水確率0%だとしても山では天気の急変は日常茶飯事。キャンプに限らず山に入ったらいつでも雨に備えて準備をしておくのが基本。今回も万が一のために雨具はテントの中に用意しておきましたし、常にプラコンテナや大きなビニール袋(ゴミ袋)も用意しています。

自宅に帰ってからの後片付けが大変。プラコンテナに適当に突っ込んだ泥だらけのブルーシートやびしょびしょのテントやタープ、ロープを洗い流して干して乾かす作業です。太陽が出ていたので一気に乾いて良かったですが、雨だったら大変でした。

自然相手のレジャーでは早めの判断が重要なわけです。自然の脅威を舐めてはいけません。だから台風が近づいているのに登山するとか遊泳するとか中州でキャンプするとか、ほんと、バカって感じ。玄倉川水難事故とか再三の注意を無視した結果だし、起こるべくして起こった迷惑な事故だな、って悪いけど同情もできません。徳島の阿波踊りもね…

で、話は変わりますがお盆ですよ。夫と義母が電話で喧嘩して、お盆の予定がフワフワした感じでしたが、結局私が義母に電話する羽目になり、余計なことを色々言ってしまって気まずい感じになってしまいました。義母の愚痴に最初は、そうですか…、大変ですね…、といつも通り半分聞き流しながら聞いていましたが、あまりの悲劇のヒロインぶりにとうとう瞬間的にプチっと切れてしまったのです。

「お兄さん夫婦のやり方に任せてお義母さんは引退なされてはいかがでしょう?」思わず口から突いて出てしまった言葉。流れる沈黙。ヤバい、気に障った…?義母いわく、”嫁がやらないから、あれもこれも全部私がやらないといけない”と言うので、嫁のせいにしないで、嫁に全権任せるなら押し付けるのではなく引け、と私は言いたかったのです。もう先祖代々お墓を守って云々の時代は終わったのですよ…

義母の愚痴は同居している長男の嫁の話。義姉とは同じニオイ、というか境遇だったり性格も大雑把なところとか似ていると(勝手に)思っているので、義姉の悪口を聞くのはあまり気持ちのいいものではありません。義姉に限らずですけど、人の悪口を聞くのって嫌ですよね。自分や息子たちのことは棚に上げて嫁の悪口や文句ばっかり聞かされて嫌気がさしてしまったのです。相手を責めることしかしないから夫を含めみんな離れていく。それが分かっていないのです。

こうなったのは、全部嫁のせい。いーや、違う、こうなったのは、嫁に押し付けて強要してきた結果で義母にも原因はあると私は感じています。嫁が夫に愚痴を言い、夫が嫁とタッグを組むのは当たり前。もし夫が私の味方になってくれず母親にべったりのマザコンだったら離婚まっしぐらだと思います。お仏さんを持つ長男に嫁いだのだから、やって当たり前、そんな昔の常識を押し付けてきたから関係が拗れたのではないでしょうか?

義姉がお仏さんへのお供えを疎かにして実家に足しげく通うことが不満みたいですが、義姉にだって年老いたご両親がいるわけです。義母自身お盆は毎回実家に通っていたのに自分のことは棚上げなのですよね。どっちの家が大切だ、とか、嫁に来たからにはこっちが優先、とか、仏がある家に嫁いだのだから、とか、そういう昔の古い考え方、もうそろそろ改めた方がいいと思います。死んだ人より生きた人を優先にするのは普通のことじゃないですかね…それに、嫁の生家を悪く言うのはご法度ですよ。

育ちが違うとか、どの口が言うか…、どんだけ名家にお生まれになったのですか?高貴なご出身ですか?学歴がどうこう言っている時点でアウト。直接義姉と義母のバトルを見ていないので知らんけど、揉める原因が義姉にだけあるような感じではなさそうに思います。聞くのはいつも義母から一方的な話なのでそれだけ聞くと確かに酷いな、とは思ったりすることはあります。が、義母から聞く話が真実かどうか?なんて分からないわけです。義姉にも言い分はあるでしょうし。義母が大袈裟に盛って話をしている可能性だって無きにしも非ず、です。あとは悪意ある言葉だけを切り取るとか…。

真実がどうかなんて別にどうでもいい。義兄夫婦と義母との嫁姑問題に関わりたくない、というのが本音。私は義母とも義兄夫婦ともみんなと上手くつきあっていきたい。私自身義兄夫婦と何の揉め事もなく良好な関係だと思っているので、できればみんなと仲良くやっていきたい。いつの日か義姉と本音で語り合える日が来るといいな。

義兄夫婦も私たちも先祖を蔑ろにしているわけじゃないと思うのですよ。今回だって義兄夫婦はちゃんと義母の生家の墓参りもちゃんとしてくれていたようですし。盆の準備をしない、と嘆く義母ですが、盆の準備ってそんなに重要なことでしょうか?義姉だって現役で働いているし実家の両親の世話や孫の世話もあるでしょう。”やれ”と押し付けるのではなくて、時間があってやれる人がやればいいことではないでしょうか…。墓参りだってそう。必ず13日のお迎えと16日の送りに行かなければいけない、と強要するのではなくて、行ける時に行ける人が行けばいい。

今回義母と一時間近く長電話してしまい言わなくていいことを沢山言いすぎてしまいました。毎日実家に通って庭の草刈だの、仏の世話だの、初盆の準備だの、忙しすぎて具合悪い、と嘆くので、思わず「誰も住んでいない家の管理は大変でしょうから売却して現金化されたらいかがですか?」と言ってしまいました。

すると家の売却に反対している弟(叔父)のせいで家が売れない言われて「では管理を叔父(弟)さんに任せたらどうでしょう?」と言ってしまい、すると今度は「叔父がやらないから私がやるしかない」と言うので「売りたくないけど管理はしないって、それは叔父さんズルイですよね」と言ってしまった。言わなくていいことをツラツラと…。一旦出た言葉は元には戻せません。もうタガが外れてしまい売り言葉に買い言葉ではないですが、溜まりに溜まっていた鬱憤をここぞとばかりに口から流れ出るのを止められませんでした。前後の内容を全カットされて”叔父はズルイ”だけが切り取られ叔母に伝わり、叔母から抗議を受けるし散々でした。

家を売らない最後の言い訳として「今は元気だから大丈夫」という義母。あー、歴史は繰り返される。と思いましたね。最後まで義母に財産や資産を教えないで亡くなった祖母。誰にも頼らず、残されるものの迷惑も考えず、”元気だから大丈夫”と何の申し送りもされないままある日突然倒れて亡くなった祖母。亡くなってからの遺産整理にどれだけ苦労したか、分からないでもないでしょうに…。

継ぐ人がいない生家の残された墓はどうするのか?不動産を残したまま死なれても迷惑なだけ。現金化できるものは現金にしたほうがいいに決まってます。まあ、嫁の立場でどうこう口を挟む問題ではないのでしょうが、あまりの悲劇のヒロインぶりにはっきり言って限界に達した私は「まずは墓仕舞いして、そのあと家を売却するほうこうで…」と言ってしまいました。やっちまった感。出過ぎた真似をしてしまいました。

いやいや、13日に祖母の初盆で坊さんが拝みに来るからあなたたちも来れない?という義母からの電話で勃発した夫と義母の親子喧嘩。夫がさすがに言い過ぎたと思ったのでしょう。自分から連絡するのは気が引けたのか、私にやらせるという手段に出たせいで起きた今回の事件。結局私たちは何時に行けばいいですか?と本来の要件である聞くべきことを聞くと「あなたたちは好きにすればいい」と完璧にへそを曲げてしまいました。気まずい沈黙の後「坊さんは12時に来る予定」とのことで、「では10時過ぎに行きます」と言って電話を切りました。

とりあえず電話の内容をすべて夫に聞かせました。「だからみんなに嫌われるんだよ」と最初は私に同調していましたが、私も興奮して調子に乗り言い過ぎたのか、最後には「あんまり人の親のこと悪く言うな」と夫がへそを曲げてしまいました。いくら頭に来ても親は親、自分が自分の親をクソミソ言うのはいいけど他人に言われると不満、そういうものなのかな。今後夫と義母の話をするときには気を付けないといけません。猛省。それこそ親しき中にも礼儀あり、ですね。

嫁が間に入るとロクなことがない、ということに夫も気づいたことでしょう。息子と母親で直接話をするのが一番。所詮嫁は他人ですから。私は極力関わらないようにしようと思います。親子喧嘩ならほとぼりが冷めれば収まりますが、一旦拗れた嫁姑問題は簡単に修復できません。私が言いたいのは、本来、嫁じゃなくて、息子たちと話をするべき、ということです。なんで嫁を巻き込むのか?がよく分からん。息子にあんなに怒られる理由が分からない、って嘆く義母ですが、それは自分の育て方が悪かったのでは?と思ってしまいます。息子に遠慮して言いたいことが言えない母親って本来おかしくないですか?

初盆の祈祷?で坊さんが12時に拝みにきました「お昼(出前寿司)用意してますのでどうぞ」と声をかけるも、坊さんは寿司を横目に手を付けることなくさっさと退散。そりゃそうでしょう、お盆は坊さんの稼ぎ時ですから、悠長に昼を食べている暇などないわけで、外では坊さんを乗せた車が路駐して運転手を待たせているし食べるわけがないのですよ。それは夫も指摘していましたけど、誰が何を言おうが聞く耳を持たないのが義母です。

「坊さんが食べるわけないのにね」隣で叔母さんも夫と同じことを呟きました。義母と叔父夫婦、私たち夫婦5人に対してお寿司が6桶(坊さんの分)、プラス助六や海苔巻きなど3桶、合計9桶が届けられ、こんなに5人で食べれるか、とため息つきながら昼食。3時過ぎに墓参りを済ませ叔父夫婦は早々に退散。残された大量の海苔巻きを涙目になりながら口に運び、やっと食べ終えて満腹状態で夫がそろそろ俺たちも帰るか、と言うので片付けを始めると「これから夕食一緒に食べに行こうよ、何かさっぱりしたもの食べたい」と義母が私に言います。

何故息子に言わないで私に言う?息子に直接言えばいいのに…。お義母さんがこれから夕食行こうだって、と伝えると夫の答えはノー。ほぼ4桶の寿司を一人で食べた夫です。もう満腹でお米一粒も入らない状態です。「すみません、お寿司いっぱいいただいて、お腹いっぱいなので帰ります」と夕飯のお誘いは断って帰ってきました。家に帰ると19時。長い長い一日が終わりました。溜まったストレスはビールをイッキ飲みして流します。

とにかく拗れた人間関係の理由が、自分にはない、誰かのせい、と思っている時点でダメです。悪いのは全部人のせい、自分は正しい、やるのが当たり前、そんな考えではたとえ親子でも上手くいかないし人は離れていくでしょう。家で孤立するのも頷けます。愚痴や陰口ばかり叩く人の側にいたくありません。不愉快になるだけ。今回も懲りずにずっと愚痴のオンパレードでした。まあ夫の母親なので付き合わないわけにはいきませんが、親戚付き合いもあまり深く関りたくないな、と思ってしまった今年のお盆でした。

長男夫婦と同居している自分の家では孤立していて居心地悪いから、実家は義母の憩いの場所になっているのだと思います。実家を売らない理由を売りたくない叔父のせいにして、墓を仕舞えない理由を(施設にいる)叔父が生きているせいにしている。いやいや、義母より年下の(施設にいる)叔父が義母より早く死ぬ保証なんていないし、もし叔父がこれから10年生きたらどうするの?その間、お義母さんが絶対死なないと断言できるの?やれる人が元気なうちにやらなきゃ…、”今は元気だからいいけど…”、じゃない。逆逆、元気だから、元気なうちに、そう、今、終活は元気なうちにやらなきゃ。やるなら絶対今しかないでしょ。

それが分かってないんだよな…”元気だから大丈夫”そう言って誰にも相続の話をすることなく祖母はいきなり倒れて亡くなりました。相続の話は避けて通れない。残される人に迷惑をかけないためにも終活や遺産相続の話は絶対に必要なこと。

結局今のままでは義母も祖母と同じ道を辿ることになると思うのですよ。血は争えない。私自身は相続の面倒に巻き込まれる心配はないのでぶっちゃけ関係ないですけど…。今回のお盆を教訓に、私は二度と出しゃばらず、夫の後ろに隠れるようにします。夫の家族のことは夫に任せるしかない。聞き流すことは得意のはずなのに、今回はちょっと冷静さを欠いてしまいました。それもこれも全部猛烈の暑さのせいかも知れません。いや、全部全部悪いのはキッシーのせいにしておこう。

トリガー発動して~、二重課税やめて~、消費税下げて~…富裕層やお金持ちにとっては物価上昇など痛くも痒くもないでしょうけど貧乏人にとっては死活問題。まだ我が家は食費やガソリン代など実家へ手伝いに行く度援助してもらっているので支出を抑えられている分生活苦ではないですけど、どこからも支援を貰えないとなったら話は別。親の支援が得られるかどうか?親の保有資産でかなり差が出てくるのではないか、と想像します。

相続税改定で2024年からは非課税枠である年110万の暦年贈与の遡り期間が現行の3年から7年に伸びます。我が実家の生前贈与も真剣に考えた方が良さそうです。暦年贈与の金銭授受より買い物をして資産をコツコツ減らしていく方が税金対策にはなりそうです。母親がいい感じで消費モードに突入しているので欲しいものを我慢することなく買って経済回すことに尽力してもらうことにします。今の母親の楽しみは”食”なので、大好きな甘いお菓子とかコンビニスウィーツ、週一回行く私とのランチ、そういった外食産業を盛り立てることにお金を使っているようです。お金に苦労しない老後、羨ましい限りです。

資産が相続税控除内に収まるくらいなら生前贈与の相続時精算課税制度を使っても良さそうですね。来年の法改定で相続時精算課税制度でも毎年110万の非課税枠が使えるようなので、保有財産が一億を超えるような億り人で、この先7年以上生きることが難しいと思われる人はこれから暦年贈与しても7年分は遡って課税されてしまうので、特例を使って数年かけて贈与したほうが非課税枠を有効活用でき資産を減らすことができるかも知れません。贈与を受けた人は必ずその年の確定申告で税務署に届け出が必要ですが、ちまちま暦年贈与するより相続時精算課税制度の特例を使った方がいいかも、です。

もし一億の遺産を3人の法定相続人が相続するとしたら、4800万(3000万+600万×法定相続人の人数)まで非課税、残りの5200万に対して相続税がかかります。ですが相続税対策として特例の相続時精算課税制度を使って2500万を3人に生前贈与、しかも10年に分けて毎年250万づつを3人に生前贈与すれば3300万円の非課税枠を使えます。7500万(2500万×3人)の資産を生前贈与して、そこから3300万控除枠を使えば、相続時に6700万まで資産を減らすことができます。一年に500万生活費として使ったとしても10年で5000万、死ぬときは残り1700万の資産というイメージ?それだと贈与税相続税もかからないベストな選択かな、と。

どっちにしろ、私には”億持ち”なんてレベチの話なので知らんけど…相続で一番大変なのは、予想外に長生きする【長生きリスク】でしょうかね…。10年で死ぬだろう、と予想して70歳から生前贈与したら体調を崩して入院、それから30年寝たきり生活となり施設で100歳まで生きる、なんてことがおきれば、今度はお金が足りなくなることも出てくるやも知れません。

できれば、70歳で生前贈与を始めて80歳中盤くらいで病院にお世話になることなく突然コロッと逝ければ最高なんですけど…、今の日本では安楽死が認められていないから、例え寝たきりになって死にたいと願っても死ねない。生き死にだけは思い通りにはならない。どうにもなりません。

ま、私に誰かに残すような資産はないので宝くじが当たらない限り心配無用ですけど。遺産は残さずダイ・ウィズ・ゼロが理想です。それに相続税を払うのは一部の富裕層だけの話でしょう。相続税を支払う人の割合はたったの8%だそうです。

身を粉にして働いて大金稼いでも半分税金に持っていかれるバカらしさ。ほどほどに稼いで税金を少なくして支出を抑えてプライベートを充実させる生活にシフトしたら人生楽しくなりました。贅沢をしないで生活レベルを上げなければ年齢と比例して自然と生活もダウンサイジングしていくもの。お金を使わず楽しく幸せに過ごせるコツを掴めばいいのです。あとは新NISAにぶち込んでおけば老後も安泰です。こんな不安定で明るい未来が見えない世の中だからこそ、自衛しないと、ですね。

お読みいただきありがとうございました。