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LGBT問題を考える話

LGBT問題で、通産省の職員トイレ問題?色々な意見が飛び交っているようですが、私が考えるLGBTを今回は語ろうと思います。結論から言うと、すごくありきたりなのですけど、周りに迷惑をかけなければいいんじゃない?ってことなのですけど…。

そもそもですけど、LGBとトランスを同じ括りで話すことが間違いなのですけど、今回の件ではトランスに絞って考えます。

例えばですけど、もし自分が男性の体で心が女性だったとする。身も心も女性になりたくて性転換手術をして法的にも女性になった。だったら何ら問題はないと思います。裁判所に行けば戸籍の性別を変えることができます。申し立ての費用は印紙800円です。要件は以下の6つです。トランスジェンダーならきっちり戸籍まで変えればいいのに、それが出来ずに中途半端に権利を主張するからおかしくなるのだと思います。

  1. 二人以上の医師により性同一性障害であることが診断されていること
  2. 18歳以上であること
  3. 現に婚姻をしていないこと
  4. 現に未成年の子がいないこと
  5. 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
  6. 他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること

トランスジェンダーは変換期に体が中途半端な状態になるわけで大変苦労されると思いますが、そこは自分の外観状況と周囲の目を鑑みて適時判断してもらえれば一番いいのですが、問題はそこですよね。見た目完璧に女性なら他人の目も気にならないはずで、違和感があるから変な目で見られる。変な目で見られるという時点でアウトだと思うのです。ただの女装趣味みたいな変態もいるわけで…。境界線が難しい。趣味なら周囲に迷惑をかけない範囲で楽しめばいい。

だから戸籍上の性別よりも外観のほうが重視されるべきなのかな…見た目が女性なら戸籍が男性であろうと女性トイレを使ってもいいと私は思います。見た目が女性なのに男性トイレに入っていくほうが不自然に感じます。通産省トランス職員は女性トイレを使うことに苦情でもあったのかな…?普通に女性として働いていてトイレだけ使えていない状況なら、そのほうが不自然に感じます。

りゅうちぇるさんやはるな愛さん、佐藤かよさんは見た目完璧に女だから、彼女たちの戸籍上の性別は男かも知らんけど、私がもし女性トイレで出会ったとしても不快感は感じないと思います。むしろ美しい可愛いと同性目線でしみじみ見ちゃうかも…。

特にトランスジェンダーの人は性の矛盾に悩み苦しみ、体にメスを入れる決断をしたわけで、生半可の覚悟ではできないことです。大変な手術を経て痛みに耐え色々苦労すること多くあると思うのです。やっと自分の気持ちに正直になってなりたい自分になったのに、偏見から逃れられない生きずらさを感じていると思います。だからこそ心の痛みがわかる優しい人が多いように感じます。そんな生きずらい世の中を変えようと頑張って活動していたりゅうちぇるさんがお亡くなりになったのは、とても悲しいことです。心よりご冥福をお祈りします。残されたご家族にも心からお悔やみ申し上げます。

自称”女性”と称し女風呂や女子トイレに入る権利を主張する輩が出てきたらそれは大問題ですね。法改正により、いずれ自称”女性”による、強姦未遂事件とかレイプ事件になることだって大いに予想されます。もし脱衣所に男性器があるトランスジェンダーを見かけたら私だったら入るのを諦めて引き返しますね…。入浴中に入ってこられたら…、うーん、そうだな…、やっぱり速攻で上がるかも。こんな逃げる行為でも性差別に当たるのかな…相手が「避けられた」と感じたら、本当に悩んでいる人を傷つけてしまいますからデリケートで難しい問題です。

どんな性的趣向があっても、周囲に迷惑をかけなければ、不快にさせなければ、そういう同じ趣向のコミュニティーを作って生活できれば一番幸せなのかな、って思います。例えばですけど、結婚もして子供もいて社会で普通に生活している人が実は同性が好きで、でも誰にも迷惑をかけることなく個人で楽しんでいるとしたら、それはそれでいいのでは?と思います。

成人男性を好きな成人男性が家庭を持ち普通に社会生活を送りながら、趣味として男性の肉体美の写真を眺めて楽しむことに私はなんの違和感も抵抗も感じません。その人の趣向を否定することは人格を否定することだと思うからです。ある近しい人がそういう趣味があるのを知った時「ふ~ん、そうなんだ、別にいいんじゃない?」という感じでした。でも嫌悪感を感じる人がいるのも事実。理解する人はするし、しない人も一定数いるわけで、それはそれで仕方ない。だからわざわざ自分の趣向をカミングアウトする必要もないと思います。小児性愛は論外。だからジャニーさんはノー。もちろん強姦やレイプなんて性別関係なく犯罪ですからもっての外。

同性が同性を対象に恋愛することは普通になってもいいと思います。マイノリティー平等を訴えるより、同性結婚のほうこそ先に認めてあげてほしいな。愛しているカップルが法的に夫婦になれないほうが悲しい。それこそ好きになったら性別や年齢、人種なんて関係ない。

レズビアンもゲイもバイもトランスも、みんなが幸せに暮らせるといいな。自分が嫌だと思うものを非難差別、排除するような場所にわざわざ行かなくても幸せに暮らせる場所は必ずあると思っているから、そういう差別にあったら、そこは居場所じゃなかった、ということなのかな。

りゅうちぇるさんの居場所は芸能界ではなかったのかもしれません。芸能界って闇ですね…。有名になんてなるものじゃありません。赤の他人は放っておいて理解してくれる最愛のパートナーを大切にしてほしかったな。詳細知らんから自殺か事故か事件か分からんけど、自殺なら情緒不安定な状態だったのかな…。憶測であーだこーだ書くのは良くないのでやめます。

私は差別する人が苦手。どんな差別に対しても、差別的な発言をする人とは距離を保つようにしています。差別の種類って色々あると思うのです。ざっと検索してみると…

  1. 人種・民族・宗教・文化に関する差別
  2. 言語・地域に関する差別
  3. 性に関する差別
  4. 能力に関する差別
  5. 病人・障害に関する差別
  6. 階級と職業に関する差別
  7. 身分に関する差別

まあ色々あるわけです。ヘイト発言は見ていて辛いものがあります。悲しくなって鬱になりそう。だからそういう時は一時ネットから離れ情報を遮断します。そして溜まったストレスはブログを書いて発散します。というわけで、昨日夫がりゅうちぇるさん死亡のニュースを教えてくれてから何とも表現し難い鬱々とした感情で心が乱れたのでネットは見ていません。ネットでは誹謗中傷で叩く人応戦する人入り乱れて寂しい人たちがウジャウジャ集まってあーだこーだやってるのでしょうね…。知らんけど。

色々な意見があって当然です。十人十色、考え方が違う人とは付き合わなければいい。そこが生きにくい居辛いと感じたら快適さを求めてさ迷うのも手だと思います。私はそうやって東京を脱出しました。自分に心地いい居場所は必ずあるものです。

LGBTで言えばカナダのブリティッシュコロンビア州では同性婚も合法ですし性的マイノリティーが快適に過ごせる環境が整っています。バンクーバーのある地域ではLGBTがマジョリティーだったりします。日本にもそういったLGBTが快適に暮らせる場所や特定の地域が一つでもあるといいのですけど。

日本のLGBT人口は海外に比べて割合的にそんなに少数ではないと思うのですが、理解が進まない、遅れている分、圧倒的にマイノリティーになっているのだと思います。海外みたいにもっと派手にパレードして自信をもってカミングアウトできるようになればいいですけど。派手に主張しないのが日本と言うお国柄なのかも知れませんね。一人一人が偏見をなくし理解することが一番だと思います。

私の意見、マイノリティーの人たちは生きづらさ抱えていると思っているので、マイノリティーを主張して差別や権利を訴えるのではなく、マイノリティーの人たちが快適に生活できるように同性婚の合法化だったり、多目的トイレの増設を訴える活動したほうがいいのかな、って思っちゃいます。差別主義者にどんな正論をぶつけたところで絶対理解しようとしないだろうし…。

トイレ問題に至っては男性用、女性用、多目的用、今まで2つだったトイレを一つ増やして3つ作ればいいだけの話じゃない?と個人的には思ってしまいます。そんな簡単な問題じゃないのか…。ま、既存の建物は無理としてもこれから新しく建設する商業施設やオフィスビルに関しては多目的トイレ必須にしたら解決する問題だと思います。

今日も朝から茹だる暑さだしテレビは多分りゅうちぇるさんの話題ばっかりだろうし、なんだか気が滅入るな。こういう気分の時こそお得意の現実逃避に限ります。

お読みいただきありがとうございました。