ストレスフリーを目指すブログ

穏やかに健やかに暮らしたい

ジンクスや信仰などスピリチュアルな話

私達夫婦にはそれぞれ抱えているジンクスがあります。

私のジンクスは私が旅行したり遊びに行く日は雨になる雨女のジンクス、夫のジンクスは洗車をすると翌日に雨が降るという2人とも雨に関するジンクスです。

夫は必ず週間天気予報を確認して晴れが続く予報の時に洗車します。にも拘わらず今回も天気予想をまるごと覆して大雨、落雷、強風と大荒れになりました。やっぱりか、と自虐気味です。

私の雨女ジンクスも相当酷いです。独身時代、私の雨を降らせる力が強すぎて試しに私が行くのを取りやめたらどうなるか?実証実験したことがありました。結果一滴も雨が降らずに私が雨女であることが証明されてしまいました。私を誘うと雨になるというジンクスは本物だったのです。でも結婚後は晴れ男の夫と中和されたのか、このところの勝率は50%くらいまで下がってきました。これで雨女返上です。

夫とリゾート白神に乗車する計画を立てた時のことですが、豪雨に見舞われ列車が運休になったことがありました。夫に「すげー力、列車止めたわ、嵐を呼ぶ女じゃん」と恐怖の眼差しで見られたことがありました。

いやいや。私が呼んだんじゃないし、そんな能力無いし。嵐を起こせるなんてミュータントじゃん、X-MENの世界じゃん。そんな特別なスペックを持っている人が本当にいるのだろうか?超常現象は基本的に信じない派ですが、唯一あるかな、と思うのは”霊”の存在です。虫の知らせ、とか、第六感、とか。

祖母が亡くなった時に不思議な体験をしました。誰もいない祖母の家に理由もなく寄ったのです。なんで寄ったのか今でも不思議です。祖母が呼んだのかもしれない、そう思いました。家に帰ると祖母が亡くなったことを聞いたのです。

先週の大河ドラマで洋さんが亡くなった時、多くの人が鈴の音を聴いたように、霊が存在してそれを第六感が感じ取る、そういったことはあり得ると私は思います。

科学では説明がつかない現象が起こると、そこには霊が存在していて超常現象を起こしているということは大いにありえると思っています。霊感が強い人は絶対いると思うし、私はいつも祖母の霊に守られているような気がしています。

あまりジンクスを気にしすぎるとよくありません。夫はジンクスを気にしすぎて洗車のタイミングを何回も逃しています。週間予報を見て晴れ続きだとジンクスを気にしすぎて洗車することを躊躇うのです。「俺が洗車すると雨になるからな、止めておこう」結果予報通り晴れが続くと「雨降らないんかーい」と一人ツッコミしています。逆に雨予報の時に洗車したらどうなるのか?実証実験してみたいと思います。

今回は洗車ジンクスにドはまりしましたが、今後はジンクス気にせず週間予報も気にすることなく天気がいい日に洗車する、それが一番いいと思います。夫はストレス頭痛持ちなのですが、車を洗車している時は治まるようで、やっぱり好きなことを夢中でやることはストレス発散にいいのだと思います。週間天気予報に振り回されて洗車を諦めるなど勿体ないことです。

私もリゾート白神が嵐で運休になったことを気にしすぎて自分主導で旅行を計画することに躊躇し始めました。でも雨に降られてもそれが忘れられない旅になる。逆に印象に残る、列車は運休してリゾート白神には乗れなかったけどそれも含めて楽しい思い出。そう考えると気が楽になりました。

雨の旅行だって、情緒があって乙なものです。雨を残念に思うのではなくて雨で良かったと思うことができれば、豪雨だって嵐だっていい思い出になります。

嫌われ者になりがちな雨ですが、私は嫌いではありません。雨は絶対必要だし、水の有難さはオーストラリアへ行ったとき痛感しました。万年水不足のオーストラリアでは節水が徹底されていて、水を出しっぱなしにすると罰金の対象になるほどです。本来、雨は恵みの雨なのです。

私が住んでいる地域は日中が猛暑でも比較的朝晩は涼しい海風が吹くので熱帯夜で寝苦しいということはないので助かってます。できれば集中豪雨ではなくバランスよく適量の雨が梅雨らしく降ってくれると嬉しいのですが、今年は梅雨が短くかつ空梅雨で水不足が心配されます。

節電に加え節水、熱中症にコロナ、注意することが多くなってきました。”世界の終わりの始まり”なのでしょうか。世界の終わりが現実味を帯びてきました。温暖化の影響なのでしょう。もはや何が起こってもおかしくない状況だと思います。近々神の裁きが下ってリセットされる日が来たりして…。

スピリチュアルな話をすると私は三位一体(神、イエス・キリスト、御霊が一体である)を信じています。母親がカトリックで、小さい頃洗礼を受けさせられて一応洗礼名を持つカトリック信者です。洗礼名は聖クララ(修道女会クララを作った人です)宗教とは何ぞか。キリスト教のことも分からず親の影響で洗礼を受けさせられそのまま改宗もしていないので、宗教は?と聞かれたら多分キリスト教なんだと思います。

因みに父はキリスト教ではありません。夫も違います。でも別に何も言いません。特に宗教に関して関知せず、というスタンスです。信仰に関しては父も夫もスルーです。結婚して改宗とか私は嫌ですね。誰かと結婚するために改宗するとか、とある学会に入会するとか。政党を作って政治にクビを突っ込むとか…。

私も親の影響でキリスト教になりましたけど、どこかの学会と違い強制はしなかったし信仰するもしないも自由でした。家族全員必ず同じ宗教である必要はないのです。まして子に押し付けるなど親のエゴだと思います。ま、某学会に関しては親を見て子は育つので強制などしなくても抵抗なく自然に踏襲するのしょう。

基本的に宗教は自由思想で勧誘とか強制するものではないと思っています。布教活動はいいと思いますけど、お布施とかお金が絡むとちょっと変だなって思います。大体宗教戦争とか信じる神様を巡って争ってること自体オカシな話で。あと、病気を祈祷で直すとか、この石が癌を治しますとか、いやいや病気なら絶対病院行かなきゃダメでしょ。

ある種、宗教は洗脳じゃないかと私は思っていて、でも誰にも迷惑かけなければそれでもいいのでは?という考えです。改宗を無理やり押し付けたり入会を強制したりしなければいいだけの話。お互いが信じているものを尊重し認め合えればそれでいい。

自分の信じているものが変わったら改宗だっていいと思います。知り合いでイスラム圏の人と国際結婚した人がいるのですが、その人はイスラム教に改宗しました。それは彼女の意思で彼女の選択だし強制されたわけでもないと思う(知らんけど)のでそれはそれでいいと思います。

家を建てる時神棚は不要だし、地鎮祭も不要ですと言ったのでかなり驚かれました。家に神棚がないことって、そんなに変な事なのでしょうか。観光で寺社仏閣、神社も行くたびに手を合わせるし、墓参りも初詣も行きます。ありとあらゆる神仏に祈ってます。キリスト教の信仰はあるけど、基本無宗教なのだと思います。

信仰はあっても教会にも行っていません。「天にまします…」で始まる”主の祈り”子供の頃は暗記していて寝る前に必ずお祈りをしていました。告解場で懺悔をした時は「めでたし聖寵充ち満てるマリア…」で始まる”天使祝詞”を唱えることが多くてこれも暗記していましたがもう今は殆ど忘れてしまいました。辛うじて「父と子と精霊のみなによってアーメン」だけは言えます。(この時に十字を切ります)

小学生まで日曜日は毎週ミサに行ってました。せんべろの聖地で有名な赤羽にある教会です。ヨハネパウロ2世が来日した時は聖カテドラル協会へ見に行きました。小学高学年あたりから反抗期に突入したので日曜学校もサボりがちになりましたが、ボーイスカウトの活動は夏のキャンプ宿泊体験とか楽しかった思い出です。

中学に上がったら部活で忙しくて教会での活動は完璧ドロップアウト。20代の頃は信仰も失っていました。信仰を取り戻したのは、”夫と結婚出来れば神様を信じます”とお願いしてそれが叶ったから。独身だったら、神様のクソが!と言っていたかも知れません。まったく、いい加減な理由です。私にとって宗教とはそんなものです。

信仰は取り戻しても教会に行って祈ることはしていません。でも毎日家で戦争が終わりますように、平和な世界になりますように、と祈っています。私にとって信仰は心を穏やかにしてくれる心の支えです。

政治的不安、自然崩壊、自然災害、干ばつ、猛暑、貧困、物価高、戦争、天変地異の前触れなのかも知れません。天に召された時に恥ずかしくない生き方をしよう。

私は今日も平常運転。何事もなく無事に一日が終わりますように。そして明日が無事に迎えられますように。

お読みいただきありがとうございました。