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怒涛のストレスマックス三連休の話

2月に倒れ入院してから驚異的な体力で回復し、2か月前に老人ホームに入居したばかりの夫の祖母(100才!)が亡くなったと金曜日の夜に電話がありました。三連休は長野への旅行を計画していたのですが、台風が来ると言うことでキャンセルしたばかりでした。何と言うタイミングでしょう。

ゆっくり過ごす予定の三連休が、怒涛の三連休になってしまいました。施設に入居してから間もないので、あと一年くらいかな?と勝手に思っていました。年齢が年齢なので驚きはしませんでしたが、まだまだ元気だと聞いていたので、まさかこんなに急に…、という感じです。三連休に通夜、告別式から納骨まで無事に終えて今日は平常運転です。

外孫の嫁(内孫はいないので)としてできることは限られていましたが、せめて受付だけでも、と思っても失敗ばかり。冠婚葬祭に不慣れなので動きがわからないのです。一般常識が欠如しているので恥ずかしいことばかりで、穴があったら入りたい気分です。何をしていいか分からず右往左往、使えない役立たずの非常識な嫁と思われたことでしょう。

香典返しの御礼を見ると喪主は入院中で寝たきりの長男になっていました。実質上の喪主である三男の叔父が喪主の代役、長女である義理の母が会計(亡くなった祖母のお金から)ということもあるのか、葬儀を出す側の叔父も義母も(自分の親に)不祝儀を包むという不思議な現象。理解に苦しむことが色々あって撃沈した葬儀でした。

私には父方に祖父が一人、母方に祖母が一人、二人の祖父母がいましたが、母方の祖母とはかなり近い関係(私にとっては母同然)でした。高校3年間は両親と離れて祖母の家で大学生の姉と三人で暮らしていました。その話は別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

その祖母が亡くなったのは私が20代中頃の時で社会人でしたが、お金を包むことはありませんでした。祖母はカトリックで教会のミサが葬儀でした。カトリックの葬儀がどのようなシステムになっているのか分からないので何とも言えませんが、近い身内である祖母の葬儀に不祝儀を包むことなど考えもしてなかったと思います。

父方の祖父が亡くなった時はまだ学生だったので勿論不祝儀など出してないので、祖父母に不祝儀を包むこと自体、あまりピーンと来ていませんでした。

夫に不祝儀用意するように言われ、義理の姉に連絡するも、”身内だからね”包む必要がないという認識。私も同様に思っていました。でも、結婚する時に一般常識欠如の妹を心配した姉がくれた本”結婚一年生”によると、不祝儀金額の目安として、”祖父母1万円”と記載されていました。そーなんだ、じゃあ、一応、ご霊前の袋だけは用意しておこう、そんな感じでした。

告別式当日、義姉が不祝儀袋を持ってきたので、いくら包んだか聞くと”5万円”とのこと。は~5万か…、花代も出しているので、不祝儀はせいぜい3万かな?と思っていたので驚いてしまいましたが、生活に余裕がなくてそんなに包めない、という場合は仕方ないですけど、お金がないわけではないので、ここは兄弟で合わせるべき、との結論に至り私たちも同じ金額を包みました。

50代なら5万円って普通なのかな?ネットで調べると色々な意見があって何が正解か分かりません。結局、金額は気持ちの表れですから、一概にいくらが正解か?なんてないのだと思います。それぞれの家庭の経済状況も違いますし。

よくよく考えれば葬儀屋との打ち合わせで”引き物用意云々”の話していたので、そこで気がつくべきだったのです。でも、引き物用意するにしろ、葬儀を執り行う側の私たち親戚にはないだろう、本家の人達分だけだろう、と思っていたのが間違いでした。

田舎の本家は不祝儀の金額に決まりごとがあって引き物は絶対必要だ、と義母は言います。色々大変なんですね。田舎の慣習なのでしょうか、一人で不祝儀袋を3つ(ご霊前、お供物代、仏前)持ってくるのです。

記帳は一人なんだけど、不祝儀袋は3つ。はて、返礼品はいかに。同じ名前で違う不祝儀袋が何個あっても記帳が一人なら返礼品は一つが正解だそうです。基本的な考え方は、記帳した人数=返礼品一つ、だそうです。例外は記帳が一人でも不祝儀袋が連名の場合は返礼品は連名人数分、3名の連名=返礼品三つ渡すそうです。勉強になります。

葬儀を出す側の親戚として参列するのは初めての事なので、分からないことだらけで本当に疲れました。孫嫁として何かしなければ、と思う反面、本家の人たちは誰一人面識ないし、どう動いていいのかも、何をしていいのかも分からず、お茶すら出せなかった私。気の利かない自分がつくづく嫌になります。

骨を拾うのは兄が亡くなった時以来二回めです。5年前、兄が亡くなった時はコロナ前だったので、色々骨の説明があったのですが、今回は何の説明もなく大分省略されているような気がしました。火葬時間も兄は大柄で90キロ前後あったので、かなり時間がかかったように記憶していましたが、祖母の火葬時間は40分ほどでかなり短かったです。

跡継ぎがいないので、墓じまいをしている我が実家。兄の遺骨は灰にして海に散骨しました。仏教でもないし、通夜も葬儀も一切なし、家族だけの集まりで簡単なものでした。両親も葬儀不要の散骨希望です。母に至っては献体に登録しているので、死亡したら大学病院へ連絡するだけで、あらかた用が済んだら火葬して返してくれるらしいので手間も費用もかかりません。私も献体に登録しようと思っています。

引き物を開けながら「こんな豪華な弁当とか引き物とか、うちら(近い親戚関係)には必要ないし、コロナ理由に家族葬にすれば良かったのにね」と疲れすぎて思わず口に出して言ってしまいました。本家親戚関係への連絡は生前の祖母の希望だったのかも知れません。若い頃は”兄弟会”とかいう本家の集まりがあったみたいです。よく知らんけど。に、しても、です。私が喪主なら迷わす家族葬を選択しますけど。

参列する本家の人たちも当然祖母の兄弟ではなく、みんな代替わり(義母の従弟達)なので、そこまでする必要もなかったのでは…、というのが本音です。夫に言うと、”あんたの実家とは訳が違うんだから”、と一喝されてしまいました。やっぱり葬儀をしないというウチの実家は非常識なのかな…。

確かに盆や彼岸に行く墓参りで祖母の本家の墓参りもするのですが、名刺入れまであるようなそれはそれは立派なお墓なのでございます。入っている人数も相当な数です。祖母は分家なのでお墓は違いますが、これが田舎の先祖代々の本家の墓か、と納得するに足りる、なんだかすごい、人生初の経験でした。本家を継ぐって大変なことですね。

というか、本家とか分家とか、イマイチ分からん私です。私の父は長男ですが、本家だの分家だの聞いたことがありません。ただお寺さんへお布施をして墓を継いでいたので本家なんだと思います。どうでもいいですけど。墓じまいする前は墓に入りたいと言ってきた親戚誰でも"どうぞ~”と迎え入れた父です。

先祖代々の墓じまいはかなりの費用がかかったようです。その全てを父が負担していました。お墓を守るのはそれなりにお金がかかること。それを長男である兄に継がせるのは父としては避けたかったのだと思います。

カトリック墓地にいる祖母、長男の伯父が2月に亡くなりましたが、県外にいることもあり、祖母の墓には入らないようです。本来なら祖母の墓を継ぐはずの伯父ですが、お盆に墓参りしたときに墓石に伯父の名前はありませんでした。近くに住んでいるならまだしも、県外在住なので祖母の墓に入るのは現実問題難しいのだと思います。

ですので祖母の墓はいつまでも祖母一人だけ。結局、祖母のカトリック墓地も墓参りに行くのは私と夫だけ。待てど暮らせど溺愛していた息子が入ることはない、悲しいです。私たちが現役の今はいいですけど、年老いて墓参りに行けなくなったら、祖母の墓はどうなるのでしょうか?気になるところです。伯父の生涯現役を貫いた生き様については別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

ちなみに、祖母の夫(祖父)は戦死なので骨もありません。(石ころが届けられたそうです)祖母の家を取り壊した時に仏壇はどうしたのか?私には分かりません。カトリックの祖母の家に仏壇、ってのも不思議ですが、祖母が洗礼を受けたのは大分後の事で、祖父が亡くなった時はまだキリスト教徒ではなかったようです。祖母が信者になった時に、三人の子供(伯父、伯母、母)も同時に洗礼を受けたようです。

今回、久々に姪っ子甥っ子に会えました。三人目が生まれたということは聞いていましたが、お初にお目にかかれたので嬉しかったです。まさに天使、可愛かったです。やっぱり赤ちゃんっていいですね。ぷくぷくの足なのに脚力はちゃんとあって、表情も豊かで癒されます。上の子二人はヤンチャ盛りでこれまた可愛い。上の子は小学生になったそうです。前回会った時はまだ赤ちゃんだったのに子供の成長はあっという間です。

出会った頃はまだ中学生だった姪っ子が今や三人の立派なお母さんです。年の離れた姉弟で、10才年下の甥っ子は高校3年生で彼女ができて絶賛交際中だそうで、密な青春を謳歌中らしいです。若いって素晴らしい。婆ば(義姉)が50才前っていうもの凄い。賑やかで楽しそうで羨ましいです。

子なし夫婦の私たちにとって、頼るのは甥っ子と姪っ子になります。負の遺産は残さないようにしないと。今の内から”相続よろしく”と頭を下げています。ある程度子育てが落ち着いたら、ゆっくり飲みながら話をしようかな、と思ったり。姪っ子はお酒が大分飲める口みたいなので一緒に飲める日を楽しみにしています。

年を取れば葬儀に出ることがこれからますます多くなります。夫の親戚関係は色々面倒なことが多いので義姉との連絡を密にして仲良くしようと思いました。

初七日だの、四十九日だの、これから色々あるのかな。仏教って面倒。法要長いし。坊さんの話長いし。キリスト教徒は考えが真逆(神に召された)だから死は悲しいことではないのです。葬儀もミサで終わりなので、何度もお経を唱えるのはなんだかしっくり馴染めない私です。私の宗教論や信仰の話は別記事で

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ストレスマックスの三連休でした。ブログ書いて少し落ち着きました。

お読みいただきありがとうございました。