ストレスフリーを目指すブログ

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父はベテラン癌サバイバー

仙台市長がパンダパンダと騒いでいて宮城県人として恥ずかしく穴があったら入りたいくらいです。県知事が進める病院再編にも頑なに反対、ため息しか出ません。元アナウンサーという知名度だけで当選したような人。メディア出身だけあって親中左巻きなようです。あの人を2期連続当選させてる仙台市民はダメでしょう…、クルド問題で沸いている和田さんと言い、なんか宮城県のイメージ悪すぎる。

【あさ8】に前の前の仙台市長である梅原さんが出演すると思っていたのですが勘違いだったみたいです。【あさ8】ではなく【有本香チャンネル】のほうでした。現在69歳、白髪になっていましたが変わらずお元気そうな梅原さんの姿が見れて嬉しかったです。なんと日本保守党結成当初から有本さんに支援を申し出てくれていたみたいで嬉しい。ますます日本保守党への期待が大きくなります。


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私が精神を病み何もかもリセットしたくて海外へ逃亡してから帰国後に心機一転、添乗員となり働き出したのがちょうど2004年の夏、梅原さんが市長就任した年は翌2005年、その頃はまだ独身で仙台市在住だったのでよく覚えています。結婚して居を県南に移したので今は仙台市民ではありませんが、梅原さんは地元が仙台ですから同郷としてとても親近感があります。

まさか長町(仙台駅の南隣駅)にチャイナタウン構想があったなんて地元の私ですら知りませんでした。メディアがまったく報じないのですよね。梅原さんは相当地元新聞(河北)には叩かれたようですけど…。まあ、安芸高田の市長対中国新聞、名古屋河村市長対中日新聞仙台市長対河北新報、そんな構図なのでしょうね。メディアがいかに偏向報道しているか?都合が悪い真実を隠すか?が徐々に露呈されてきましたね。

梅原さんがチャイナタウン構想を潰さなければ今頃はリトルチャイナと化して占拠されていた、ということでしょう。怖い怖い。今は【あすと長町】というエリアで開発が進んでいます。私が甲状腺摘出手術を受けた仙台市立病院もそのエリアに移転となっています。移転に関しては梅原市長在任中、チャイナタウン構想を潰したのちに決定したようです。本当に梅原さんには感謝しかありません。

そんな中国の長町チャイナタウン構想を阻止した優秀な梅原さんが日本保守党のブレーンになる。これほど力強い助っ人はいないでしょう。対中政策、通産省での官僚キャリアと愛国心、加えて台湾事情にも詳しいと来たら何も言うことありません。梅原さん曰く、今の政治のやり方に疑問や不満がある現役の官僚も多いとのこと。優秀であるにも関わらず何らかの事情でパージされている人材も多いとのことなので、そんな愛国心溢れるパージされた官僚を梅原さんのように政治家転職、日本保守党がヘッドハントすることができれば、多くの優秀な人材を候補者として立てることができれば、もしかしたら政権を取ることも夢ではない?まず目指すは野党第一党、現実味を帯びてきたかも。いくら何でも気が早いか…ゆっくり育てていかないとね。

嬉しいニュースに続いて百田さんが緊急配信で癌告知のニュースが入ってきました。早期発見なら癌は死ぬ病気ではなくなりました。私の父は72歳の時に大腸癌告知を受けました。私が結婚した年だったのでよく覚えています。検査結果の付き添いは私がしました。「癌ですか?」父が効くと「そうですね」というユル~い感じの告知でした。

結婚披露の食事会も発熱のため欠席した父、その頃から下痢と尿お漏らし症状が出始め頻繁に高熱を出すようになりました。先生曰く、癌の大きさからみて数年かけてゆっくり進行していったようだ、とのこと。大腸がんはなかなか症状が出にくいみたいです。リンパ節への転移はなく腫瘍の場所的にも人工肛門になるかどうか?のギリギリの位置で手術が終わるまでどうなるか分からないという説明でした。

父の場合、腫瘍が大きくなりすぎて膀胱を押しつぶしてしまった結果、膀胱癌ではないのですが、なぜか大腸癌なのに膀胱全摘出という不思議な外科手術になりました。先生によると、癌発生したのは数年前で時間をかけてゆっくり大きくなったようだ、とおっしゃっていました。若い頃にできた癌の進行は早いので気づいたときには手遅れになることが多いですが、高齢で発生した癌は進行が遅いので寛解する可能性が高いとのお話でした。

大腸は極力腫瘍部分の切除だけで人工肛門にしないようにできれば、との先生のお話でしたが、私たち家族は、人工肛門になっても仕方ないという覚悟はできていました。10時間を超える手術の結果、先生が頑張ってくれてなんとか大腸を繋いでくれましたので人工肛門にならずにすみました。膀胱全摘出は予定通りだったので人工膀胱にはなりましたが、袋が一つなのか二つなのかでは大きな違いです。

先生には本当に感謝しかありません。尿ストーマを付けたことで障害者手帳を持つことになりましたが見た目はまったく健常者。ただやはり袋をぶら下げて温泉に行くのは抵抗があるらしく、温泉には行かなくなりました。というか入院が長引いたのでかなり体力が落ちていって旅行へ行く元気はなくなっていったように感じます。

手術前は72歳という年齢にしては足腰が強く散歩が趣味だったので、退院してからの弱りようはかなり衝撃でした。やはり入院が長引くとほぼ寝たきりになるので足の筋力が落ちるし体力もなくなるのは必然のように感じます。入院手術も辛かったとは思いますが、大変だったのはその後の抗がん剤治療のようでした。抗がん剤の副作用は人それぞれですが、父の場合、何を食べても味がしない、手足の痺れ、吐き気などでした。とにかく気分が悪い、あまり愚痴を溢さない父が珍しく「治療を止めたい」と音を上げたほどです。表情も暗くいつも笑顔の父が激変、見ていて辛かったです。

辛い辛い抗がん剤治療が終わり再発リスクがある5年生存率も無事に過ぎ、狭心症ステント手術や皮膚がん手術、脱腸ヘルニア手術も経験、尿路感染で何度も緊急入院して生死を彷徨ったこともありましたが現在87歳元気です。手術・入院のベテランです。家族は手術入院するたびに、最早これまでか…、と覚悟はするものの毎回無事に退院、なかなかしぶとい兵です。

人って食べて寝てを繰り返せば生きるのですよね。逆を言えば、食べれなくなったり、眠れないと死が近い、ということなのでしょう…。食欲と睡眠が健康バロメーター、食欲旺盛、良く寝るし、たまに夢と現実の区別がつかず妄想の世界で生きている父ですが、それでも癌告知から15年、父は癌サバイバーとして今も元気に生きいます。

最近便漏らしが続いていてしきりに先生に訴えていますが検査しますか?と聞かれて断っていたみたいです。内視鏡検査がかなりトラウマになっているようで「あの検査受けるくらいなら死んだ方がマシ」と言っています。今更癌が再発転移したと判明したとして父が手術に耐えられる体力があるようにも思えません。そこまでして”生きる”ことに執着しているようにも見えないので積極的治療はしないと思います。両親とも延命治療は拒否しています。勿論私もです。

そう言えば心臓の痛みで診察して即日入院が決まった時も「開胸手術なら拒否します」と言ってたな。「いつ心臓が止まってもおかしくない状態で絶対安静です。手術しないと死にますよ」と車イスに乗せられても「十分生きたのでいつ死んでもいいです、我が人生悔いなし」みたいなこと言って平然としていたっけ…。肝が据わっていると言うか何というか。結局開胸ではなくカテーテル手術を受け現在に至ります。

だから百田さんも森永さんもきっと大丈夫。日本の医療は素晴らしいですしそう簡単には人間死にません。医学進歩のお陰でもはや癌は治る病気、恐れるに足らずです。百田さん67歳、森永さん66歳、まだまだこれから。百田さんは年明けに手術、森永さんは抗がん剤治療を開始されるそうで、副作用がかなり辛いらしいですけど乗り越えて欲しいです。

百田さんも森永さんもこれからの日本を憂い、救うために一念発起立ち上がってくれた方。陰ながら応援していますし寛解をお祈りしております。今は治療に専念していただいてまた元気な姿を見れる日を信じて楽しみに待ちたいと思います。

とにかく”病は気から”です。気持ちの持ちようが大切、病気になっても明るくポジティブに考えるといいです。神様が”働きすぎだから休みなさい”と言っているのだと思います。私が甲状腺摘出手術で入院した時も、上げ膳据え膳、家事から解放されるつかの間の休みだと思って入院生活を満喫していました。誰にも邪魔されることなくゆっくり本が読めるし最高、と図書館で数冊本を借りて持ち込んでいました。

起こりうるリスクを手術前に説明され色々不安になりましたが、姉の「ないわ、ないない、絶対大丈夫だから」という言葉に救われました。割と簡単な手術だったのか2時間かからずに終わったようです。寝ている間に終わった感じ。全身麻酔から無理やり起こされた時、痛いと泣き出したので、おしりに坐薬を入れられて撃沈、すぐ気を失ったようです。姉から聞いた話で私自身は記憶があまりありません。とにかく麻酔から覚めた時の強烈な痛さは覚えています。

癌の告知は相当ショックだったと思います。少し動揺しているようには見えましたが明るく気丈に振る舞う通常営業の百田さんの配信を見て少し安心しました。「なるようにしかならない、先生を信じてお任せするしかない、よろしくお願いします」父が手術の度に言ってました。絶対大丈夫です。頑張ってください。パワーアップして元気にお戻りになることを切にお待ちしております。梅原さん一押しのカエルの楽園でも読もうかな。

お読みいただきありがとうございました。