ストレスフリーを目指すブログ

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自堕落な生活も今年で終わる話

毎年楽しみにしていたのですが、今年はカレンダー配布開始のお知らせが届かない…、例年だと11月の中旬今頃から配布が始まっていたのですが、なんと、dポイントクラブを確認すると、カレンダー配布のサービスは2023年をもって終了しましたとのこと。

dポイントクラブオリジナルカレンダーのプレゼントは昨年の2023年カレンダーをもって終了となりました。
紙使用量の削減による環境負荷低減の取り組みの観点、および、昨今の事業環境を鑑み経営資源を集中する観点から、カレンダープレゼント施策を終了いたします。
ご愛顧いただきましたみなさまには、心より厚く御礼申し上げます。

dポイントクラブでは今後も会員のみなさまに喜んでいただけるキャンペーン等を企画してまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

そうか、とうとうきたか。という感想。環境負荷軽減というよりは不景気だからなのかな、なんて思ったりします。景気が悪くなると無料配布のカレンダーが消える現象は数年前から感じていました。カレンダー作ってる場合じゃない、というのが本音なのでしょう。日本経済どん底ですね。

ミッキーフレンズのイラストが可愛い、そして何より季節感を楽しめたので、ポスターとして飾っていたドコモのディズニーカレンダー。カレンダーとしての用途ではなくポスターとしての感覚でいたので別にいいですけど…、配布が終了というお知らせは大袈裟ですけど何か一つの時代が終わったな、という少し寂しい思いがあります。銀行通帳の発行が有料になったり、使用明細書が発行されなくなったり、紙媒体は有料、というのがスタンダードになってきましたね。写真もデジタルフォトフレームですしね…

今の私の興味は政治経済。今の自民党がこれからどうなるのか?青山さんが総裁選力に出るとか、高市さんが総裁選を見込んで支持固めの勉強会を開くとか、自民党の党員が河野さん総裁誕生を絶対阻止するために党員を止めないで留まっている現実とか…、Xのポストを見ていてそういうポストがタイムラインに続々と流れてくると、私がいかに無知でお花畑だったのだな、と恥ずかしくなります。

夫は相変わらずテレビっこですが、私は地上波テレビはボイコット中。一人で家にいるときはネット中心です。朝起きたらXチェック、ブログを書きながら【あさ8】を見てそのあとは気になる動画数本見たら午前中は終了、みたいな…。そうそう、紅白出場アーティストの発表がありました。旧ジャニ排除でK-pop台頭、予想通りで笑える。国営放送がK-pop推し…我が家では昨年に続き”ざわめくスペシャル”になるのかな…。

紅白情報が出るといよいよ冬到来という感じです。本格的な冬到来に向けボチボチ冬物支度を始めました。昨年仕舞った場所が分からない、覚えてない…。湯たんぽは?電気毛布は?モコモコ靴下は?手袋は?ストールは?探し物ばかりしている私を見て「一日中ボケーとテレビ見てるから呆けるんだよ、ボーって生きてんじゃねーよ」とチコちゃんのモノマネで言われてしまいました。ボーって見てるのはテレビじゃなくてネットだけどね…、とは言い返しませんでしたけど、じつにヤバい状況だな、と自分でも自覚はあります。

もともとかなりの面倒くさがりなのですが、最近は輪をかけて酷くなってきています。自分のために動くのが億劫。夫がいるので仕方なく夕飯作るけど、もし独りだったら絶対何もしない自信がある。最近ではカップヌードルにお湯を注ぐのも鬱陶しく食べ物を咀嚼することも疲れてしまう…。このままではダメダメ人間まっしぐらです。

この自堕落な生活も今年で終わりそうです。なんとかレイオフされずに契約を続けてくれていた会社の事業再開の目途がたったのです。訳あって休業中の会社ですが、早ければ年内中に業務再開できそうなのです。良かった良かった。休業前は週休二日で一日5時間勤務でしたが、再開後、元通りになるかどうなるかは分かりませんが、とにかく今のようなユルユル生活からは脱却できそうです。そろそろ真剣に社会復帰しないと軌道修正が効かなくなりそうで怖い。

なんだろう、別に働かなくても生きていけるなら働く必要ない、と思っていたのですが、何もしない、というのは人間をダメにするな、とほぼ無職な状態になって強く感じています。やることがある、やりたいことがある、ということはそれだけで幸せなことなんだな、と無職になって初めて気づく。愛する人もそうですよね、そこにいるのが当たり前で一緒にいるときはウザく感じる存在でも、いざいなくなると寂しい。

兄が交通事故で亡くなった時、しみじみ感じてしまった後悔。鬱になり仕事を辞め、実家に戻りずっと長い間引き籠っていた時期があった兄。やっと快調の兆しが見えて働き出したと思ったら事故で亡くなってしまいました。生きているときには頭に来ることばかり、憎たらしく思ったこともあったのに…、居なくなれ、と思ったこともありました。兄も私の存在を疎んでいたと思います。”何でこんなに辛いのに、自分は病気なのに、理解してもらえないのだろう”、そんな葛藤があったと思います。鬱になった兄が実家に戻り一時期一緒に暮らしていた頃の話は別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

そこにいるのが当たり前、そう思わない方がいい。失ってはじめて気づく喪失感。なんでもっと優しくできなかったのだろう、もっと何かできたのではないか?という後悔。人間とはなんと愚かな生き物なんだろう…

そんな後悔はしたくない。親友が亡くなったと聞いた時もそう。後悔ばかり。後悔しない人生はないけど、できれば少ないほうがいい。だから後悔を少なくするために、今やれることは全部やる。せめて、やらなかった後悔をするのはやめよう、そういう考え方になりました。今は両親にやってあげられることはすべてやってあげたい。夫はダラダラしてないで働け、と言うけど、私にとっては働くことよりも両親の世話の方がプライオリティが高い。

祖母の世話をやりきって看取った母が言っていました。何も食べれなくなり点滴だけで生きながらえていた祖母が、最期餡子を食べたいと泣きながら訴えた時、食べさせてあげられなかった後悔。病院に”のどを詰まらせて窒息の恐れある”と言われ断念、その数日後に祖母は亡くなってしまいました。もって数日と分かっていたなら尚更のこと、のどに詰まらせて死ぬことになったとしても食べさせてあげれば良かったというのが母の後悔です。入院患者が餡子をのどに詰まらせて死んだとなれば大変なことで病院では到底許可できるものではないことも承知しています。難しい問題です。ある程度治療の施しようがなく寿命が見えたら診断書をもらって家で看取るのが一番いいのかな、なんて思ったりします。

母も亡くなった祖母と同じ年齢になり、父は平均寿命も優に超えました。父も母もいつ何が起こってもおかしくありません。望むのは苦しまずに逝ければいいな、ということと、いつ何時何がおこっても後悔しないようにしたい、ということです。

両親が先に逝くことは自然なことだから両親が亡くなることにショックはないと思います。実際にどう感じるかは分かりませんが、できることは全部やってあげられたのなら後悔はないと思います。だから後悔しないためにも生きている今、恩返ししたいし優しくしなきゃ、と思うのですが、やっぱり未熟だからすぐ忘れてしまって、口調がキツクなってしまいます。

そばで涙目になっている母を見て、はっ我に返るわけです。やっちまった、また言い過ぎた、と思っても一旦発した言葉を取り消すことはできない。懲りないな、と思いながら、つくづく自分はダメな人間だと落ち込むわけです。小さくなった母を見て毎回優しくしなきゃと思うのに。父には優しくできるのに、母にはキツくなってしまうのは何故でしょう?

姉曰く、確かに母の物言いにはカチンと頭に来ることは多々ある、と同調したうえで、グッと堪えて我慢すると言っていました。末っ子同士、言いたいこと言って傷つけあって、そんな親子だから本気でぶつかる、姉はそう言って慰めてくれますけど、末っ子は三文安いと言われる所以なのかな。私は四人姉弟の末っ子、母も三人兄妹の末っ子なのです。姉とは政治についても本音で語り合える仲、かなり近い考え方ということもあり、最近会えば政治の話になりがちです。

子供がいないので、これからの世の中がどうなろうが知ったことか、と今までは思っていましたが、子供がいないからどうでもいい、とは言ってられない日本の政治に危機感を感じて今は政治経済に興味を持ち真剣に勉強しています。知れば知るほど恐怖しかない。本当に本当に真剣にマズイ事態です。

本来政治経済は一番生活に身近で直結している問題なのですけど、自分とは関係ないこと、という私を含め多くの無関心がここまで自民党一党政治を支え腐敗させてしまったのだ、と今更ながら責任を感じますし後悔しています。

普通に生活できることは当たり前ではない。平穏な日々に感謝しながら、その平穏な日々すらも脅かされている昨今、国民も徐々に気づき始めているような気がします。危機感を肌で感じながら”政治は生活に直結している”ことを多くの人々が実感してきていることが微かな光なのかな、と思います。

政治経済は関係ない、と思っている方がまだいらっしゃるとしたらそれは大きな間違いです。むしろ生活に直結してくるものが政治。この30年、勤勉にがむしゃらに働いて給与があがらないのは政治が何の成果を上げられなかったという結果の表れです。サイレントマジョリティーが生んだ結果が今の危機的な状況を招いたのだと思います。

経済・経済・経済もいいですけど、安全保障もかなりヤバいですよ…政治に興味をもったきっかけはインボイス制度や税金関係の不満がきっかけでしたけど、今は経済に加えて安全保障に危機感を感じています。国が貧乏になる、ということは国家が弱くなることでつまりは同じ問題なのですけどね…国際融和だけでは国は守れません。

一つ一つやれることを粛々とこなすしかないですね…。政治がヤバい、日本がヤバい状況に向かっています、危機的状況です、とブログで書いていますが、何かを訴えたいわけでも批判したいわけでもありません。どこへも吐き出せない政治不信でストレスが溜まっているので発散しています。

語彙の乏しさが目立ちますが、それでも今の政治は”ヤバい”としか表現できません。Xを見る限り様々な意見がありますが、私はとにかくいい意味で政治につてい興味を持つ人が増えているように感じているのでワクワクしています。Xではレスバトルになりがちですが、それによって政治の話題がXのトレンドになり関心度が上がるのであれば、どんどん議論する場が増えて良いことなのかな、と思います。旧ジャニ問題よりよっぽど有意義な議論だと思います。

ただ、誰かを攻撃したり誹謗中傷したり、ロジック崩壊しているポストも多く見受けられますので、それは少し残念に思いますね…。誰かを馬鹿にしたり評判を下げるような行為は無益だと私は思いますし、そういう行為に走る人を軽蔑します。最低限のモラルは守りたいものです。色々な意見があって主義主張があって当たり前、それを聞いて同調できなければ離れればいい、それだけの話だと思うのですが、なぜ意見の合わない人に粘着したりわざわざ絡むのか?が理解できません。

それは【どうする家康反省会】のポストを見ていても感じたことですが、反省会のハッシュタグなのに、わざわざ参戦してくる松潤ファンだと思われる人の心理が理解できない…。わざわざ反省会に荒らしに来ないでも本タグにポストすればいいのに、と思っていました。こっちは、反省会にポストされるアンチのダメだしを楽しみに見ていたので、変に擁護する反省会には不釣り合いなポストが入ってくると違和感を感じていました。

誰かのポストに批判的なリポストする人の目的とは何だろうと考えた時に、炎上狙いなのかな?と。注目されたい、という幼稚なかまってちゃんなのかな…。そういう人相手に反論するのは時間の無駄。スルーが一番です。

Xは見るだけがいい、タイムラインで流れてくる情報であらかた世間で起きているトレンドを知ることができるので便利なアイテムとして利用しています。

お読みいただきありがとうございました。