ストレスフリーを目指すブログ

穏やかに健やかに暮らしたい

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理想的なワークライフバランス

コロナも5類に移行、行動制限緩和、マスク制限も撤廃されて、検査も治療もワクチン接種も自己負担、日本でも本格的にコロナとの共存が始まります。2024年9月終息宣言される、と未来(2058年)から来た方がツイッターで呟き話題になったこともありました。2020年のことですが、すでに懐かしい…。

ブログを始める前は、出来事を日付順にエクセルに残してコメント欄でメモを残していました。家計簿と日記を兼ねたそのエクセルを見返してみると、コロナ禍で添乗員を引退し、ブラック企業での不毛な半年間を無駄に過ごし、2020年の年末パートで採用されたホワイト企業が事実上の休業状態になり、レイオフされたのが2021年の夏だったことが分かります。

今でもその会社に週2回は通っていますが、数時間程度の勤務なので稼ぎはほとんどありません。暇に任せて始めたこのブログは、まもなく一年が経とうとしています。相変わらずアクセスは伸びませんし、アドセンス収益もゼロです。アマゾンは売り上げがなくて審査落ち。アフィリエイトはやっていません。

ストレス発散のための雑記ブログなのですけど、日々感じていることや出来事を記すだけではなくて、子供の頃からの記憶を書き残しておきたい、という目的があります。私が、”今の自分”、になるまでの成長過程の記録、というか…、誰と出会い何を経験して、どう変わって、今のような考え方に至ったのか?を検証してみたかったのです。しいて言えば自分の境遇を振り返る、自分遍歴みたいな感じでしょうか。今回は少し母との話を書き残そうと思います。

父の転勤に同行することになった母とは高校の頃から離れて暮らしていました。社会人になり東京で働き始めた頃、父の勤務地も東京だったので同居していた時期もありましたが、そのころ私が高校三年間一緒に暮らした祖母が倒れ、母が祖母の介護のため長期不在、東京と故郷を行ったり来たりの二重生活でしたので、同居していた時期も母とゆっくり会話する機会はあまりなかったと記憶しています。

また父が地方転勤になり、クソ上司との軋轢から失職した私は東京での一人暮らしに限界を感じ高校生活を過ごした祖母のいる故郷に戻ります。父の退職まで転勤先に同行した母と再び同居を始めるのは、父の定年退職後、私が海外から帰国し添乗員として働くようになってからです。

同居、と言っても、添乗員という仕事がら外泊することが多く、家にいること自体少なかったので、まともに会話することがなかったし、鬱病を発症した兄が同居することになってからは、兄と険悪になり逃げるように家を出たので、ますます会話はなくなりました。

家を離れて一人暮らしを始めた途端、夫と出会い結婚。家も新築し幸せいっぱい…、のはずが、住み始めて2年で東日本大震災に見舞われ床上浸水。ストレスからバセドウ病を発症、甲状腺摘出手術を機に不妊治療もやめて、夫は会社を辞めて個人事業主になりました。その後、親友が病気で亡くなったり、夫がEBウイルスに感染して脾臓破裂寸前状態で緊急入院したり、いろんなことがありました。

結婚してすぐ父の大腸癌が発覚して手術や入退院を繰り返し、心筋梗塞と皮膚癌にもなり、その度に病院へ行ったり手伝いには行っていましたが、忙しくて用件だけ済ますとすぐ帰っていたので、頻繁に会う機会はありましたが、ゆっくり会話することはあまりなかったような気がします。2017年の春、鬱の兄が交通事故で亡くなり、コロナ禍になってここ数年、特にレイオフ状態になってから、色々なことを話すようになりました。

娘50代、母80代になって、やっと親子の会話をしているような感覚です。そう考えると16歳から添乗員になる33歳まで、母と離れて暮らしていた17年間、母は20代の頃の私がどんな生活をしていたか、まったく知らないわけです。私達だけでなく殆どの親子が同じ状況だと思います。

コロナ禍になって、添乗員をやめ、暇になって、やっとできた母との時間。今は母と過ごす時間だと思っています。父とは社会人になりたての頃二人で生活していた時期があったので、幼少次第の寂しさを一気に取り戻した満足感がありますが、母とはゆっくり話す時間がなかったので、今、まさに17年分の積もり積もった話をしている真っ最中、母と過ごせなかった時間の埋め合わせをしているような感じです。

母と話を始めるきっかけになったのは、実家で料理を作るようになってからです。ちゃちゃっと手早く料理するのを見て、「手際いいね、料理教えたことないのに、料理教室でも通ったの?」と聞かれたので、料理をするきっかけを話したのです。

「料理をするようになったのはお父さんと二人暮らしだった期間があったからだよ。お父さんに、”お母さんの料理より美味しい”、って褒められて上達したんだよ」母が祖母の介護で不在にした時期、父の食事を私が作り始めたのが料理をするきっかけでした。

母は私が料理をするようになったのは結婚してからだと思っていたらしいです。料理をするきっかけが、まさか自分の不在だとは思っていなかった様子です。いつ料理を覚えたか?という疑問は解決したみたいです。

そんなことから、色々と話しをすることになり、母は知らない私の過去を知るたびに、「アンタも色々大変だったんだね~」と驚き感心しながら聞いています。祖母に悪態をつきまくった反抗期の高校三年間の話、最初の会社を辞めた経緯、転職の話、恋バナ、アルコールに溺れかけた話、精神を病んで死にたくなって海外へ逃げた話…。そんな話を母としているうちに、自分の人生書き残すのも面白いかも、と思ったのです。

波乱万丈なことは何もなく平凡な人生ですけど、我ながら色々な経験はしているな、と思います。今はがむしゃらに働くのではなく、年老いた両親と少しでも長く過ごしたい、あと何年生きれるか分かりません。予想外に長生きしたとしてあと10年?そうすると私も60の大台、還暦を迎えますが、現代の還暦はまだまだ元気だから大丈夫。

今朝も夫に、”稼がない”ことに対して嫌味を言われましたが聞き流しています。今は稼ぐ、よりも使わない、ことに徹して何言われても我慢の日々です。週一の実家訪問時に、病院の送り迎えだったり、お手伝いや料理の手間賃ではないですけど、食費やガソリン代、買い物の援助をしてもらえるのでありがたいです。色々なものが物価上昇しているので何より助かります。

毎日5時間時給1000円で二十日働いたとして月10万、稼ぐことができれば一番いいのですが、レイオフがいつまで続くか、今年中に完全復帰できればいいのですが…。

人生、いつ何が起こるか分かりません。明日生きている保証もない。だからこそ、齷齪働くだけの人生にはしたくない。後悔しないための人生。丁度いい快適なワークライフバランス。もしかしたら、人生の中で一番充実した毎日を送れているかも知れません。

お読みいただきありがとうございました。