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音楽を聴きながら親友を偲ぶ

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秋の終わり、突然親友のお姉さんから電話があった。

妹が亡くなったの。

お正月には「元気ですか?」と直筆入り年賀状が届いていた。

享年42才。38才の時の健康診断で癌が見つかり摘出手術をしてその後抗がん剤治療を経ての再発だったようだ。高校の時の親友で社会人になってからも連絡を取り合う数少ない友達の一人だった。添乗員の仕事が忙しくなかなか会えなくなってからも誕生日のおめでとうメールと年賀状のやり取りだけは続いていた。

年の離れたお姉さんは私たちが高校生の時すでに結婚し子供もいたので、彼女は高校生にしてすでに叔母さんだった。家族ぐるみのお付き合いだったのでお姉さんとも面識はあった。家にお邪魔したこともしばしは。泊まらせてもらったことも何度がありました。携帯電話がない時代、使用頻度が高かった彼女の家の電話番号は空で言えるし、今でもたまに自宅と間違えて電話してしまうこともあるくらい指が番号を覚えています。

お姉さんと懐かしいね、などと話しながら、彼女が癌を患い闘病していたことも全然知らなかった私はしばらく現実を受け入れられずにいました。お姉さんから連絡をもらったのは亡くなって2か月が経った11月の中頃のことでした。

お姉さんが連絡をくれたのはスマホ履歴で見つけたのか年賀状の訃報を知らせるための喪中準備で私の年賀状を見つけたからか、はたまた生前の本人から依頼されていたのか今となっては不明ですが、連絡を貰えたことでお仏壇にお花とお線香をあげることができました。病気のことなど知らなかった私は一瞬何かのイタズラか?と思ったほどです。ようやく事態をのみ込んだ時は体の震えが止まりませんでした。夏が誕生日の私におめでとうLINEをくれたばっかりだったのです。

再発が確認された時には癌の転移が広範囲で摘出はできない状況だったそうです。次第に一人では動けなくなり、最後は車いすの生活を強いられたそうです。最後までSMAPのコンサートに行くことを楽しみにしていたようですが、コンサートの数日前に容態が急変し叶わなかったそうです。最後まで行くことを目標に諦めず病気と戦った彼女の強さに感服します。

「コンサートを楽しみに頑張っていたんだけどね…」お母さんが寂しそうに言ったことが忘れられません。高校の時の楽しみは彼女とコンサートに行くことでした。高校3年間、二人でコンサートに行きまくっていました。毎年開催されるロックフェスも3年連続参加、社会人になってからはバックストリートボーイズの東京ドームコンサートにも一緒に行きました。音楽を考える時いつも彼女を思い出します。

音楽に関しては母が音大出身(声楽)で家にピアノもあったため、身近なものでした。私自身も中学時代にブラスバンド部に所属していてホルンを演奏していたので、中学までは吹奏楽がメインでクラシック、オペラ、姉の影響で洋楽、兄の影響でジャズなど、ジャンルを問わず幅広く聞いていましたが日本の歌謡曲を聞く習慣はありませんでした。レッツゴーヤングとかベストテンとか昔は歌番組が多かったですよね。聖子ちゃん、たのきん始めアイドル全盛期です。

そんな中唯一邦楽で聞くようになったのが、さだまさしさんです。中学の頃、双子の上の兄がお風呂場で”防人の歌”を号泣しながら歌っていたので興味がわいたことがきっかけでした。中学時代に防人の歌を聞きながら号泣する兄ってちょっと特別な感じがします。あの時代あの周辺ではちょっとした”神童”として有名人でした。その話は別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

今でもこのアーティスト、というよりは、この曲、って感じで聞いています。一曲ずつお気に入りに入れてプレイリストを作成しています。最近のプレイリストは邦楽ではアルフィー(夫がコアなアルフィーファンで結婚後に聞くようになりました)ミスチルバンプ、米津さん、MISIA、洋楽ではシーア、テイラー・スイフト、デュア・リパ、アデル、サム・スミス、ショーン・メンデスなどです。

昔好きだったロック色がかなり薄れているような気がします。若い頃はUKロック、グランジロック、スワンプロックなどの重めの音楽とEDMも好きでジャミロクワイ、ケミカルブラザーズ、ダフトパンクなどのピコピコ系聞いていました。曲としてはMore than wordsとWith or without youが好きです。両方とも名曲です。More than wordsは若い頃着メロに設定していました。好みバラバラです。

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因みに邦楽で一番好きな曲はミスチルの”しるし”です。邦楽のいいところは歌詞が理解できることです。洋楽だと歌の意味は分かりませんのでメロディとノリ重視ですが、そういう意味では邦楽は心に刺さる歌詞が好きです。ミスチルには勇気づけられたり、励まされたり、色々助けてもらっています。共感する歌詞が多いです。音楽は癒してくれたり救ってくれたり日々の生活に欠かすことができません。

高校生の時にコンサートへ行ったアーティストも熱烈なファンだったわけではなく彼女の影響を受けての”にわかファン”でした。コンサートチケットは殆ど彼女が手配してくれました。米米クラブバービーボーイズユーミン大江千里さん、長渕剛さん、高校3年間で数えきれないほど一緒に行きました。

今思えば、アルバイトとコンサートと食べ歩きに明け暮れた高校3年間でした。もちろん、稼いだお金は全てコンサートチケットと食費に消えていきました。高校時代の体重は60キロオーバー(身長156)の肥満体でした。高校生の時の写真を見るとパツンパツンで恥ずかしくなります。

いつも笑顔でユーモアがあって明るくて頭が良くて快活でサバサバしていて強い子でした。久し振りに会っても、違和感なくスッと昔に戻れる、そんな安心感がありました。お互い独身だったから、現役退いたら一緒に暮らしてもいいよ、なんて冗談言っていました。こんな変わり者の私を理解してくれる数少ない友達でした。

遺影の彼女は満面の笑み。髪の毛は抗癌剤の副作用で抜けちゃって写真はウィッグなのよ、とお母さんが教えてくれました。そろそろ片さないといけないんだけど、なかなか出来なくてね、亡くなって2か月が過ぎようとしているのに仏壇を片付けられないと言っていたのを思い出します。兄を亡くした時遺品整理の辛さをしみじみ実感しました。

何をしても彼女を思い出し涙が溢れ出てくる。そんな日々がしばらく続きました。楽しかったディズニー旅行、放課後の食べ歩き、映画とコンサート三昧だった高校生活を思いだし、最後に会いたかったな、病気のこと教えてほしかったな、と思う気持ちでした。ですが時が経つにつれ、それは私のエゴかも知れないとも思うようになりました。

ドラマ【Nのために】で、杉下希美ちゃんが安藤には弱っていく姿を見られたくない元気な自分だけ覚えていて欲しいと願ったように、彼女も抗癌剤で髪が抜けた姿を見られたくなかった元気な姿だけを覚えていて欲しかったのかな、と考えるようになりました。私は元気な彼女の思い出を大切にしようと思います。

彼女が最初の手術後の抗癌剤治療で苦しんでいただろう時期は多分私が不妊治療していた時期と同じ頃だったと思われます。あの頃私は自分のことで精一杯で彼女に愚痴のLINEばかりしていたような気がします。彼女も苦しかったはずなのに微塵も感じさせなかったばかりか私を励ましてくれました。凄い人です。

今日は彼女の命日。あれから早いもので8年が経ちました。卒業アルバムを開いて高校生の自分たちに会いに行く。天国の居心地はどうですか?元気でやっていますか?まだ先だろうけど天国で会えるのを楽しみにしています。コンサートを楽しみにしていたというSMAPの曲を聞きながら彼女を偲ぼう。

そういえば彼女がSMAPファンだったこと知らなかったな。私がアンチジャニーズだから内緒にしていたのかな…。高校生の時は確かマッチのファンだったよね。私と遊んでいた頃はまだSMAPデビューしてなかったのかも知れません。時の経つ速さを感じずにはいられません。

お読みいただきありがとうございました。