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虚弱体質だった私が健康体になった話

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虚弱体質だった私が何故こんなにも丈夫な体になったのか。

最近私の実家で用事を頼まれた夫と母と三人でお昼ご飯を食べに行ったとき、私が子供の頃病弱だったことで話が盛り上がった。結婚してからの私しか知らない夫は信じられない様子でしたが「昔は本当に病弱だった」と母が言ってくれたので嘘ではないと信じてくれました。

大人になってからは発熱はおろか体調が悪くなることも殆ど無い健康優良人間ですが、病弱なのにお転婆だった子供時代は少し調子にのるとすぐ発熱。37度~38度程度の熱は月イチペース。39度前後の高熱は年に2~3回くらいあったと思います。

その度に小児用抗生剤を処方されていたので粉薬を飲むことには慣れっこでした。通常だと水分に溶かして飲んだりしますが、私の場合苦かろうが粉のままダイレクトでイン。病院への通院は日常化していましたので注射や採血でギャーギャー騒ぐことはありませんでした。

小学校入学時は他の子と比べワンサイズ小さく整列は当然ダントツの一番前(定位置)、体重も15キロあったかどうか、台風の時に傘が風に煽られて体が浮き数メートル飛ばされるくらい軽かったです。

小学校1年と2年の担任が”給食残さず食べましょう”ルールを作ったため、小食な私ともう一人の虚弱体質の女の子が日替交代で(たまには二人揃って)キラキラしていました。彼女は今元気にしているかしら?社会人になってすぐくらいの頃会ったきり音信不通になってしまいました。

私はレーズンが嫌いでレーズンパンからレーズンだけをホジり取り出してティッシューに包んで隠していたら男の子に告げ口され、職員室の前で正座をされられ、そのレーズンを食べさせられた嫌な思い出があります。当然その日も帰ってから高熱を出し母が抗議に行ったと記憶しています。今だったら大問題です。トラウマで今でもレーズンが食べられません。

病弱だった原因は尿管がくびれていることでした。その影響で腎臓と膀胱にも問題があったらしいです。月1回、母は私の尿を瓶に取り病院へ検査に持って行くという生活を小学6年間続けてくれました。尿管の手術も提案されたそうなのですが、小学生の体にメスを入れることに躊躇したらしく手術するなら中学校に上がってから、と思っていたらしいのですが、なんと中学になると自然治癒したのです。

吹奏楽部に入部したことが功を奏したようです。吹奏楽部は文科系なのになぜか朝練は体育系のような腹筋・背筋・足上げ筋トレと構内ランニング。私はホルンという金管楽器だったため、楽器を吹くことで自然と肺活量が増え、それが尿管のくびれを治したようでした。

楽器はサックスを希望していましたが、入部日チェックで木管楽器金管楽器に分けられる(マウスピースを使う金管楽器は歯並びが悪いと空気が漏れてしまうので歯並びを見て分けた)のですが、私は歯並びが良かったため金管楽器に分けられてしまい、トランペットとトロンボーンは双子の兄がいたので同じパートはよろしくないとの理由から、チューバかユーフォかホルンの中から選びなさい、と言われ体が小さかった私はホルンを選びました。

部長だった兄の妹として注目されて入部しましたが、落ち着きのないチャラチャラした感じがすぐにバレて吹奏楽部の問題児になるのに時間はかかりませんでした。後にも先にもチューニング中に昼寝して楽器を落としたのは私しかいないでしょう。先生、いくらなんでもチューニング長すぎますって。

先生を囲う会に出席した時にその話をすると「覚えてないな」と言われました。「おまえの起こした事件は多すぎていちいち覚えてないよ」ですと。先生にとっては楽器を落としたことは私が起こした数々の問題行動の内には入っていなかったようです。私自身は問題行動したという自覚がなくまったく覚えていませんが、先生は相当心配したようでした。先生が見放すことなく辛抱強く指導してくれたお陰です。その節は色々とご迷惑をおかけしましたが立派に成長しました。

なんだかんだいつも怒られてばっかりでしたがとっても楽しい充実した三年間で、いい思い出しか残っていません。美化されたのでしょうか。何となく部活内で揉めたこともあったような、なかったような…「いつも楽しそうでキャッキャ、キャッキャしてたよね、悩みなんてなかったでしょ?」会う先輩方が口を揃えて言うので、多分その通りだったのだと思います。嫌なこともあったのかも知れませんが覚えていません。幸せな性格です。もしかしたら兄がお風呂で”防人の歌”を歌いながら号泣していたのも部活内の揉め事が理由かも知れない、と今更ながら思います。双子の兄については別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

「こんなに愛されて先生は幸せですね」私が言うと嬉しそうに頷きながら嬉しいことも悲しいこともあるよ、と。先生を長く続けていると辛いことも多くあるのだろう。生徒は全国にいるのでどこかが災害に見舞われる度に安否が気になり心労も多くあるのだと思います。

全力で生徒と真剣に向き合っていた先生。口が悪い先生でしたが多くの生徒たちが全国から先生を慕い集まるのですから先生の人柄なのだと思います。

先生にとって生徒は皆我が子同然なのだと思います。子供が沢山いれば嬉しいことも沢山あるけどそれと同じ数だけ痛みも沢山あるわけです。教え子全員が全員幸せになるか、と言えばそうではないからです。それぞれの生徒が抱えている家庭問題だったり悩みに寄り添う先生でした。”部活の顧問”では収まらない私の恩師です。

手術まで考えていた尿管のくびれが自然治癒になり、問題は初潮がこないことでした。医者に相談すると、常用薬が影響しているかもしれませんので、一旦止めてみましょうか、とのことで服用を止めたところ遅ればせながらやってきて、母が赤飯を炊いてくれました。中学卒業前の出来事でした。生理が遅れたのはやはり薬の影響があったみたいです。まあ、子供ができなかったことを考えると無用の産物だったのかも知れませんが、親としてはかなり心配したようです。

視力は生まれつき悪かった。住宅にまわってくる豆腐屋に皿を持って買いに行った帰り道、柵にロープが張っているのが見えずに足を引っかけ転倒、それでも豆腐を守った結果、顎をかち割り血だらけで帰ってきて驚いて自転車で病院に連れて行ってくれた母。顎に残る僅かな傷を見ると今でも思い出します。視力は悪かったけど、それでも五体満足に生んでいただいたことに感謝しています。

お読みいただきありがとうございました。