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謝礼の金額はいくらが適当か

また積雪予想の寒波がくるようで、やっと先週降り積もった雪が解けたと思ったら、また降るのか…、2月が一番寒いような気がします。春が待ち遠しいです。

週一度の実家訪問が先週は雪の為キャンセルになりました。私が住んでいる地域は積雪はなくいつも通り実家へ行こうとしたのですが実家から”雪が凄いから来るな”とNGが出ました。どうやら実家の周辺は別世界の積雪のようでした。

近所は高齢者世帯ばかりで両親含め誰も雪かきもしないので、幹線道路は粗方自然と雪も解けますが、家の前は車通りも少なく雪国状態だそうです。30キロ程度北に離れた距離にある実家ですが、雪の降り方は私が暮らしている地域とは別世界なようです。

積雪で行けなかった先週、夫が土曜日に買物に付き合ってくれるということで、久々に夫婦で実家を訪問しました。私は毎週通っているのですが、夫が私の実家を訪ねるのはかなり久しぶりの事でした。

夫が行くとい毎回何かと用事を頼む母。今回は破れた障子の修復と玄関前の雪かき、というか雪の下の踏み固められたアイスバーン氷割り、それから使用しなくなった米櫃の粗大ごみ回収でした。

母にとって夫は何でも屋状態。夫なら何でもできると思っているのか、水漏れ、障子張り、玄関アプローチ、粗大ごみ回収、運搬、高所作業、雪かき、行く度に何かしら頼みごとをされます。

夫が用事を済ますたびに母は謝礼として小遣いをくれるのですが、毎回夫に差し出すと要らない、と付き返してくるのですが(そして私の財布に入る)今回はなんと素直に夫が自分の財布に収めたのです。ん?受け取るんかい?今までは全部突き返していたのに…何か心境の変化なのか?

よくよく考えたら金額が違いました。今までは一万円だったのですが今回は五千円。母から差し出されたお金が五千円だったので、アレ?いつもの半分だぞ、と一瞬思いましたが、これまで通り母の気持ちなのでありがたく頂戴しました。

一万円は受け取れないけど五千円なら受け取る…、夫にとって一万円は多すぎて貰えないけど五千円なら罪悪感なく受け取れる金額、ということかも知れません。

母に、いつもは一万円をくれていたこと、いつもは受け取らない夫が今回は素直に財布に入れたことを報告しました。母は意外そうに、そうだった?金額はお父さんが五千円って言ったから…、とのこと。

母はこれまでの記憶が曖昧みたいです。謝礼は五千円が適当である、という父の認識と五千円なら受け取る夫の金銭感覚が間違っていない、ということで私は少し安心しました。やっぱり謝礼一万円というのは小遣いとしては多すぎるのだと思います。

何かあるとすぐ万札を掴ませる母と常識の範囲内で金額を決める父、常識がある人(父)と世間を知らない人(母)の違いなのでしょう。

添乗員の時にお客様から頂いたチップを考えても相場は二千円から五千円でした。袋が膨らんでいると千円札が2~3枚だろうな、と想像できて、薄いと大抵五千円札でした。五千円札だと小躍りしていたものです。一万円が入っていたことはなかったと思います。”好きな飲み物買って飲んで”、と千円札をくれる方もいました。

本来添乗員としてチップを貰うことは禁止されていましたが、私は素直に受け取っていました。断るのも失礼に当たると思ったからです。一応は形式上断りますけど…。気持ちだから常識の範囲内の金額なら、と言う感じでしょうし、チップを頂いた時にはお別れする際にお土産をお返しするようにしていました。

多すぎるお金は迷惑に当たる。これまでは自分のやったことに対して、”一万円を貰うようなことはやってないから貰えない”という気持ちがあったのかも知れません。やはり小遣いという範囲内で納めるには五千円が適当なのでしょう。

母の記憶が曖昧、ということで心配なことがありました。バレンタインが近いということで、毎年恒例のチョコケーキを焼いて持って行ったのです。すると去年は貰ってない、と言われました。え~…、毎年恒例で夫と父二人分焼いているハズなのに…、自分では夫に焼いて父に焼かないわけないと思うのですが。

でも母がボケているのか、自分の記憶も曖昧なので絶対あげたよ!と言えないです。貰ってないというならそうなのかも…、今となっては確かめるすべはありません。そういう点でブログはとても役に立っています。

夫の久々の訪問に、一年ぶり?前回来たのはいつだっけ?ということで母の日記を捲ったのですが、結局分からずじまい。私がブログを始めたのが去年の3月、ブログに夫が障子を修復したことを書いた記憶があったので探してみると見つけました。

u-tantantan.hatenablog.com

4月の話だったので10カ月ぶりの訪問でした。バレンタインデー、今年はちゃんと父にも渡したよ、来年のバレンタインに、”去年は貰わなかった”と言われたら、このブログが証拠になるように残しておこう。あと何年父にチョコレート渡せるかな、来年のバレンタインもチョコレートを渡せますように。

節分の豆まき、小さい頃は豆じゃなくて、お菓子をまいて一ヶ月分のおやつにしていたよね、と話すと「知らな~い」と言われ、ウチのおでん玉子はウズラだったよね、コンビニのおでんが出始めた頃、初めて玉子がウズラではない、って知った時カルチャーショックだったよ、と話すと、「ウズラの玉子なんて使ってない」と母。

私が夢を見ていたのか、母が忘れてしまっているのか、最早定かではありませんが、今度姉に聞いてみようと思います。節分にまいたお菓子を姉弟で取り合って好きなものを交換し合ったこと、全て私の妄想だったら恐ろしい。

飴やラムネ、ビックリマンチョコとか、銀紙につつまれた細長いチョコレート菓子とかボーロとか、ペロティチョコとか結構大きめのお菓子も投げられていた記憶があるのですが…。姉にも”知らない”と言われたらどうしよう、と不安です。もし私が作り出した記憶だとしたら、かなりの妄想癖です。

ペロティチョコ…、懐かしい。今でもあるのかな。昔のお菓子が懐かしいです。銀紙に包まれた細長いチョコレート菓子、検索したらヒットしました。カバヤのフィンガーチョコ、昔は森永製菓で製造していたようです。大好きだった森永チョコフレークも明治カールもなくなりました。製造中止になった菓子を考えると時代の流れを感じます。

子供だった70~80年代が懐かしいです。大人になってお酒を飲むようになってからは甘い物は食べなくなりましたが、子供の頃はチョコレート菓子とアイスだけは好きでした。アイスクリームはレディボーデンよりリーベンデール派だった我が家。もしやこれも妄想?もう何もかも自信がありません。

お読みいただきありがとうございました。