ストレスフリーを目指すブログ

穏やかに健やかに暮らしたい

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言葉にして伝えることの大切さの話

実家でのこと。母にカーテンフックを買って欲しいと頼まれて100均へ行きました。プラスチック製のアジャスター付きカーテンフックをカーテンにつけたまま洗濯機で回してしまいカーテンもろともダメにしてしまったようです。

アジャスターなしの一体型フックを買っていくと、これじゃダメだ、と言います。なんで?と聞くと、カーテンレールが隠れるからダメだ。と言うのです。要するに、カーテンレールが見えるタイプのフックが欲しい、とのこと。

カーテンレールが隠れた方がいいと思ってわざわざ”見えないタイプ”を買ったのですが、どうやら母はレールが”見えるタイプ”が良かったらしいです。

なぜ、そこまで”見えるタイプ”に拘るのか?カーテンレールが見えない方が見栄えいいと思うけど。カーテンレールが見えなくても支障はないし、わざわざ買い直さなくてもこれで良いのでは?なんとか説得を試みるも頑として譲りません。

頑固で困ります。「積水さんがこうしたんだから…」の一点張りです。マインドロックが掛かってしまった母に何を言っても無駄なので諦めます。そして再度100均へ行き、今度は”見えるタイプ”ではなく、見える見えないどちらにも調整可能なアジャスター付きフックを買ってきました。

そして今度カーテンを選択する時はフックは外すように注意すると、今度は「フックは外せない」と言い張ります。いやいや、フックを付けたまま洗濯したからカーテンをダメにしたし、フックも割れたのでしょう?また同じこと繰り返すよ。

いつもなら”仕方ない”と思ってスルーするものが暑さのせいでできなくなり、ついつい母に対する口調が厳しくなってしまいました。”見えるタイプ”に拘る母にイライラが募り、加えてフックは外すものではないと意味不明な主張をされ、とうとうプッツン。

「そう思うなら勝手にすればいいじゃない、金輪際私に頼まないで」私に一喝された母は涙を流します。しまった!と思ったけど、口から出た言葉をなかったことにはできません。夫と喧嘩した時と同じです。暑さのせいで冷静さを欠いてしまいました。慌てて謝ります。暑さのせいで夫と久々に喧嘩した話は別記事で

u-tantantan.hatenablog.com

カーテンからフックを外して見せると「へ~、外せるんだ」と感心した様子。絶句です。外せるから今手元にあるカーテンにフックは付いていないのですよ。なぜ外せないと思っているのか?いったん付けたら外せないものだとでも思っているのでしょうか?縫い付ける訳でも接着剤で固定するわけでもないのに。

とりあえず今後はフックは取り外して洗濯するように念押ししておきました。強固にカーテンレール見えないタイプを拒絶したり、フックは外せない、と言い張ったり、年を取ると意固地になり柔軟に対応する能力を失って聞く耳を持たなくなるのか、自分の母親ながらあまりの頑固さに少し怖くなりました。

イライラしている様子を見てすぐ何かを察した母に、週末に夫と喧嘩してしまったことを話すと納得した様子です。「惚れた弱みで何でもやり過ぎたんだよ、お灸をすえるいい機会になったんじゃない?」母に言われました。離婚なんて考えもしていなかったことを夫が軽はずみに口にしたことで勃発した今回の喧嘩です。

「いつでも帰っておいで、手ぐすね引いて待ってるよ」

涙が出ました。帰れる家(実家)があるということはある意味強みです。夫も戦々恐々としていることでしょう。稼ぎがあるか、ないかなんて関係ない。食わせてもらってるなんて思ったこともないし、それを言うなら毎日の飯は誰が用意していると思ってるのか、夫婦は対等であるべきです。

夫がはっきり「誰のおかげで飯を食えると思っているのか」と口にしたことは未だかつて一度もありませんが、ここ最近の”稼ぎがないんだから家の事くらいちゃんとやってよ”というプレッシャーがひしひしと伝わってきてウンザリしていたのは事実です。家の事ちゃんとしているつもりだし、ってか、ちゃんと、って何?三食作って掃除洗濯買物、それ以上何をしろと?外で稼げと?

父が毎週私が作る料理を楽しみにしてくれています。作る料理毎回「美味しい」と喜んで何かと「ありがとう」という感謝の言葉をくれます。感謝されたくて作る訳じゃないですけど、やっぱり美味しい、とか、ありがとう、と言われれば嬉しいです。

夫は私の作る料理に対して「美味しい」と口に出していう事はこれまた未だかつて一度もありません。「美味しい?」と聞くと返ってくる言葉が「フツー」残さないで全部平らげることで”美味しかったよ”ということを表現しているのだと言います。

愛情表現も然り。「好き」と言ってくれない。最近では”絶対言うもんか”という意地すら感じます。言葉ではなく態度で示すもの、夫はそういう考え方です。ディズニーリゾートへ連れていく、ドライブに行く、旅行に行く、お酒を買う、私の願いを叶えてくれる、全てが夫の愛情表現です。それは私も分かっています。

でもたまには言葉で聞きたい。言葉にして欲しい。死ぬ間際に言ってくれるかな。

当たり前のことに感謝して「ありがとう」が自然に言える父はやはり人間的に優れている人なのかな、って格の違いを感じずにはいられません。私が料理を始めたきっかけは父です。東京で暮らしていた時、祖母の看病で母が不在だったころ、父と二人暮らしの時期が一年くらいあり、その時に私が家事をするようになったのです。

「お母さんが作る料理よりも味が好み。お前が作る料理は美味しい」母が一時帰宅した時も、私の料理をリクエストし続けた父のために、レパートリーを増やしていったのです。「美味しい」と言って食べてくれる。その喜びを教えてくれたのが父でした。

ズボラな私です。一人だったら自分のための料理なんて梃子でもしないと思います。誰かが喜んでくれる、待っていてくれる、そう思うから頑張れる。褒められれば調子に乗るタイプの私。料理をするようになって夫の胃袋を掴めたのは父のお陰です。

今回の親子(母と私)のカーテンフックにまつわる喧嘩を目の前で目撃した父は、あたふたしながらも仲裁しようと奮闘する様子がまた微笑ましくホッコリしました。自信を持って言えます。私はファザコンです。父ちゃん最高です。頑固だけど母ちゃんも最高です。我が家は最強家族です。

お読みいただきありがとうございました。