ストレスフリーを目指すブログ

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生涯現役か現役引退かを考える話

久々に温泉に行ってきました。ゴールデンウィークが始まって宿も満室のようでしたが、混雑する時間帯を避けて温泉に入ることができゆっくり温泉旅行を満喫できました。バイキングの宿だと食事に全力を尽くしますが今回の旅は温泉がメイン。部屋と食事は二の次で、まずはお湯を楽しみます。お風呂の後は買い込んだレモンチューハイで早速乾杯です。9パーセントの高アルコールだったのですく酔っぱらってしまい、夕食前にはほろ酔い。夕食時に飲んだ中瓶ビールで撃沈です。

食事終了後部屋に戻ってからの記憶がところどころありません。せっかく用意してくれた食事を残すのは作ってくれた人に失礼だと夫は言います。私はお刺身とお新香をつまむ程度でずっとヘラヘラしていたそうなので夫がほぼ二人前食べたそうです。夕食内容はあまり覚えていませんが朝食が美味しかったので満足です。

夕食後に予約していた貸切風呂へ行くときは少し酔いが冷めていて、かろうじて覚えていますが嘘か本当か途中で寝そうになって溺れかけて大変だったと夫に言われました。また夫に迷惑をかけてしまいました。(夫の作り話かもしれませんが…覚えていないので何も言い返せません)ほどほどにしないと、と反省して帰ってきました。高アルコール酎ハイ要注意です。

帰りは好天に恵まれパワースポットを巡りながらの新緑ドライブ。ところどころ桜が残っている場所もあり菜の花、水仙、チューリップ、街路樹のハナミズキなど満開のお花を楽しみました。ゴールデンウィーク後半は天気も良さそうなのでお花と新緑を探しながら、春紅葉の中をドライブしに行こうと計画中です。お花が綺麗な季節到来です。

4月下旬、2月末に亡くなった伯父の香典返しが届きました。挨拶状とお別れの会が開催されたようでその時に使われたしおりが同封されていました。地元では有名なホテルで開催されたそのお別れの会がどのくらいの規模で行われたのかは分かりませんが、しおりにある”先生”と書かれた伯父の略歴は大層立派なものでした。

伯父の実家である祖母の家で暮らしていた高校3年間、伯父は定期的に実家に泊まりに来ていました。祖母はいつも熱燗を用意して伯父の帰りを待っていました。お酒が大好きな伯父は上機嫌でいつも鼻歌を歌っていました。とにかく伯父が来ると祖母が甲斐甲斐しく世話をするので伯父が祖母にとって特別な存在で自慢の息子なんだということが高校生ながらに分かっていたように思います。世間では尊敬される立派な”教授先生”でも私にとってはただの明るいいつも上機嫌な伯父でした。祖母と過ごした高校3年間の話は別記事で

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「いい加減引退したい」と晩年母に愚痴を溢していた伯父。「兄は幸せだったのかな」コロナ禍で葬儀参列を自粛した母が言った言葉が胸に刺さりました。もし伯父が母に愚痴を言ったように引退を希望していて周りがそれを許さなかったのだとしたら、自分の望む余生を送れなかったのだとしたら、それは気の毒なことだなと私は感じていました。

ただお別れの会のしおりには「充分に生きた、いい人生であった」と申して旅立ちました。と書かれていたのでそれが伯父の最後の言葉だったのであれば死ぬまで現役を貫けたことは本望だったのかな、とも思いました。研究や育成に尽力し尊敬されて多くの人に見送られる人生、生涯現役を貫いた伯父は幸せだったと思います。今頃は祖母と一緒に天国で鼻歌交じりに晩酌していることでしょう。

年老いた父に聞いてみた。「お父さん幸せ?」すると父は「今が一番幸せ」と言った。涙が出るほど嬉しかった。何一つ自分を優先させることなく家族を養うため勤勉に働き続けた父。お金に不自由なく暮らせたのは父と質素倹約でやり繰りした母のお陰だ。本当は退職後すぐに隠居したかったのだろうけど癌発覚するまで祖母が創立した養護学校の校長として働き続けた。経営方針でごたごたに巻き込まれた最中の癌発覚。「もう休みなさい」と体が悲鳴を上げたのだと思います。

病気になってやっと引退の口実ができ、自分の時間が取れた父は今”生きたいように生きる”を実践している真っ最中です。好きなものを食べ好きな時間に起きて寝る。体力的に旅行や遠出は無理ですがコロナが収まったら食事にでも行こうと話しています。酒も飲まず、ゴルフもやらず、友人もいない無趣味な父ですが何より好きなテレビを一日中見て過ごし空想の世界にいる父は幸せそうで娘として嬉しく思います。

父親が稼ぎ母親が子育てをする。私たち世代が子供の頃は専業主婦が当たり前だった。上流も下流もなく殆どが中流だったのに、今は富裕層と貧困層の二極化になってしまいました。どうしてこうなってしまったのだろう。貧困層が増えている実態を何とかしなくては、と言って裕福層から金を取るのも限界だし何より不公平だと思います。

ウクライナ支援は戦争が終わってからでもいいと思います。何よりアゾフや傭兵を雇って民間人を盾にしているように見える今のウクライナのやり方には同情できません。ロシアを擁護する気はさらさらありませんが、ウクライナのやり方も質が悪い。気の毒に感じますが、ロシアにしろウクライナにしろ自国で何とかするよりほか方法はないと思います。人道支援ならともかく武器で支援しようとしている国も私は支持できません。武器提供は状況を悪化させるだけだと思います。やらなくてはならないことは停戦の模索と呼びかけです。

日本政府には日本経済崩壊の危機をもっと深刻にとらえて欲しいです。

お読みいただきありがとうございました。