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人間見た目で判断してはいけない話

グーグルアドセンスに申請して2週間、合格通知がきました。ブログで副業アフィリエイトでお小遣い稼ぎなんてできたらラクだろうなとは思うものの、自分のズボラな性格では無理だと思っています。ブログで稼ぐにはアナリティクスとサーチコンソールで測定分析しながら改善しSEO対策をしなければなりません。簡単そうで素人には到底無理なことです。私の性格では無理です。これも向き不向きがあるでしょう。ただ、私の反骨精神がこんなところで奮い立ってしまったのです。グーグルアドセンス独自ドメイン取得しないと合格できないという記事を多く目にしたからです。

無料のblogサービスのドメインでは審査に進むことができません。レンタルサーバーで独自ドメインを取得する必要があります。

この記載に引っ掛かったのです。私はブログ初心者ですし副業で稼ぐことも考えていません。はてな無料ブログでアドセンスは合格できるのか?ということに挑戦してみたくなったのです。実際に無料ブログでアドセンスに合格している方の記事も読んでいたのでやってみる価値はあるかな、と思ったのです。

合格の条件はプライバシーポリシー設置とお問い合わせフォームを作ること。あとはアドセンスポリシーに違反するような内容の記事を書かない。これで審査結果を待つのみです。申請した時の記事数は24、合格通知が来た時は10増えて34でした。

記事が違反するような内容でなければ合格できることが私のblogで証明されました。ちなみに、ブログ開始が3月上旬なので、開設1ヵ月で申請したことになります。収益がでることは期待しておりませんが一応アドセンスに合格した記念に広告コードを貼りつけてみました。

昔からあまり何かに悔しいと思って奮起するタイプではなく楽な道を選んできました。嫌いなものは避けてきたし苦しいと分かったら逃げる。人間としてはダメダメなのですが、興味のあることはとことん突き詰める質で、今まで夢中になったことは沢山あります。ほぼほぼ中途半端で挫折しています。人生のなかで、”これはやりきれた”と自慢できる何か一つ達成したいな、というのが私の生きる目標でもあります。

添乗員の頃と比べて暇な時間が増えました。添乗員の頃、繁忙期(4月~11月)はバリバリ働き、冬季(12月~3月)は冬眠する熊状態の季節労働でした。私はこの冬季の自由時間が大好きでした。忙殺された一年を振り返り新年を始める準備期間として充実した長期休暇は英気を養うための必要な大切な時間でした。

このコロナ禍で添乗員を引退し、48才で20数年ぶりに職探しブラック企業に採用され半年働くもやっぱり辛くて逃げる。その後採用してもらった会社にゆるゆるとパートタイム勤務しながら今は週一で実家に通い老齢の両親の世話をしている。今日も呼び出されて行ってきました。兄から貰った運動器具の使い方が分からないから見に来て欲しいとのことでした。

兄は運動不足の父を心配してショップジャパン有酸素運動器具「ナイスデイ」を送ってくれました。85才の父はステップ回数100回でゼーゼーしていました。初心者はまず5分から…、と説明書きがありましたが2分が限界のようです。私が欲しいくらいです。家にはクロスランナーがありますが、クロスランナーより負荷がかかる分、ナイスデイのほうがカロリー消費には有効なように思えます。

世話をしているというより愚痴を聞いてもらっている、と言うほうが正解かもしれません。母と私は末っ子同士で年の離れた気の合う友人みたいです。末っ子は三文安いと言われますが、私と母はまさにそれです。お互い何か事あるごとに「末っ子」を言い訳に開き直っています。三文安い同士気が合うのでしょう。母と色々話す機会が増えるにつれ知らなかった父との出会いから結婚までを知るようになり、その話が結構面白いので書き残しておこうと思います。

結婚適齢期を迎えた母は誰でもいいから結婚したいと祖母をせつき見合いを繰り返していました。祖父は戦死していましたので、長男(伯父)が父の役目としてお見合いの席に同席していたそうです。母は見合い男性全て気に入り交際を願いましたが、伯父のお眼鏡に叶う人がおらず断ってしまったそうです。見合いが上手くいくか否かは母の判断というより伯父次第だったようです。

父と見合いをしたとき祖母と母の意見が一致。祖母と母は面食いで不細工だった父を見るなり断る決心をしたそうです。早々に帰宅しようとしたところ、伯父が父を気に入り交際を勧めたそうです。見た目NGなのに何故見合いしたのか?これは、父の作戦勝ちかもしれません。(又は仲人の入知恵)父は写真を送らず経歴だけを送ったのです。祖母と伯父は父の経歴を見ただけで見合いを決行し、当日父を見た面食いの祖母と母が断ったという流れです。

「明日仕事休みを取っているので一日だけ付き合ってやってもらえませんか?」仲人さんの説得に渋々デートを了承した母ですが、それでも断る気満々だったそうです。でも一日のデートで父の人間性に触れ、形勢逆転一気に好きになったそうです。伯父の後押しもあり一気に結婚に進んでいったそうです。祖母はそれでも父の見た目が不満だったようですが、母が好きになったこと、そしてなにより全幅の信頼を寄せる伯父が太鼓判をおしたことで祖母も納得せざるを得なかったようです。

「もし見合い写真があったら見合いした?」と聞くと「絶対しない」と母は言い切りました。見合い写真を送っていたら母は父に会う事すらなく、私の存在もなかったことになります。そう考えると人生って面白いです。父がどういうつもりで見合い写真を用意しなかったかは不明ですが、結果功を奏したということでしょう。後は仲人と伯父の存在が大きかったと思います。伯父は父のことをとても評価していたそうで「今まで会ったなかで一番いい」と言っていたそうです。

人は見た目で判断してはいけない教訓でしょう。見た目なんて年を取ればみんな同じ皺皺です。昔ハンサムだった人だろうが老人になれば大して変わりません。稀にお美しいご老人も見かけますが、漂う気品だったり上品さは内面から出るものだと思います。そもそも私は母が嘆くほど父のことを不細工だとは思いません。もし父を不細工と認めるなら、父そっくりな私も不細工になります。

若いころは自分の顔が嫌いでしかたありませんでしたが、今は父そっくりな顔がお気に入りです。ぶっちゃけ不細工なのは事実なのですが、自分ではファニーフェイスで愛嬌のある顔だと思っています。どこまでもボジティブな私です。御世辞でも可愛いとは言えませんがそれでもお嫁に行けました。蓼食う虫も好き好き、十人十色です。夫が私のどこに惚れて結婚してくれたのか?未だ謎ではありますが、夫は目が悪いのでボヤけて見えているから可愛く見えているのかも知れません。

以前知り合いの男性に「薄暗いところで見ると結構可愛く見えるよね」と言われたことがある。失礼極まりない。夫もそんな感じなのかも知れません。見た目で好きになったわけではないことだけは確かだと思います。笑顔が良かったと言ってくれたので、私の営業スマイルに引っ掛かったのかも知れません。(夫とは仕事の現場で知り合いました)

父を評価した父の一学年上の伯父は2月に亡くなりました。父と同い年の柳生博さんが老衰で亡くなりました。85才でも老衰で亡くなるのですね。老衰と聞くと90才以上長生きしないと無理かなと思っていたのですが違うのですね。

父が眠れないと言って睡眠薬を多用し結果玉突き事故を起こし免許返納したのが70才の時。63才で定年し、70才まで祖母の経営していた養護学校の校長に就任していましたが、免許返上と同時にその職も辞し幾度の癌と手術を乗り越えたサバイバー。今では好きなテレビを一日中見ているか眠り呆けている毎日ですが、いつか永遠の眠りにつく日もそう遠い話ではないのかな、老衰で逝けたら一番幸せかな、と思います。

癌手術前説明で「男性機能を失います」と宣告された時「悔いはありません」と言い切った父。兄が鬱を発症した時「戻ってこい」と受け入れた寛容な父。仕事が忙しく出張で家を不在にすることが多かった父と旅行へ出かけた記憶は皆無です。ですが休日は家にいていつも私を背中に乗せて遊んでくれました。(体重の軽い私を腰に乗せてふみふみマッサージさせていたらしい)そんな父から全幅の信頼を寄せられ全ての家事育児を任され4人の子供をほぼワンオペで育て上げた母も大好きだし誇りに思います。

母が父を外見で判断することなく好きになってくれて良かった。父の良さを理解できる人間はそう多くないと思います。父は母以外の人とはうまくいかなかったと思います。そしてその父を高く評価してくれた伯父、死ぬ間際に父に会う事を切望して感謝の意を示してくれた祖母。結婚当初は不満だった面食いの祖母も父の人間性を知り最高の人間だと分かってくれたようです。祖母にとって伯父と父の二人は特別の存在だったようです。祖母と暮らした高校3年間ずっと「あんたの父親は素晴らしい」と口癖のように聞かされていました。反抗期バリバリのあの頃は、”何もしてくれないオヤジが素晴らしい?”と理解できませんでしたが、今は父の素晴らしさがよく分かります。また生まれ変わっても両親の子供になりたい、そう思います。

お読みいただきありがとうございました。