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この年になって両親に感謝する話

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子供の頃から努力することが大嫌い、勉強も嫌い、ままごと遊びより草野球が好きなお転婆で通信簿には「落ち着きがない」と書かれていた。良い評価としては「自由で活発」と書かれていた。先生はよく見抜いていたと思う。私には協調性というものが欠けている。良い評価としてはそれが、”自由”ということになるのだろう。

4人兄弟の末っ子で期待もされず、何の強要もされず、のびのび育てられたおかげもあり、末っ子気質で甘えん坊なダメダメな子供時代。反抗期は小学生高学年の時で割と早いと思う。突然押し入れに引きこもったと思ったら奇声を上げてジャンプして飛び出したり、いきなり発狂したり、母にはかなり心配をかけたようだ。

2歳上の双子の兄とは喧嘩が絶えず、4歳上の姉は私よりも深刻な思春期真っ盛り反抗期のど真ん中で家の中は荒れ放題でした。子供ながらにストレスを感じていたのかも知れません。父は仕事が忙しく寝静まってから帰宅にすることが多く、子育てにはほぼ無干渉で今でいうワンオペ状態だったので、母親の負担は大きかったと思います。

私の異常な反抗期の行動は、家庭内の揉め事以外でも学校でのイジメも少なからず影響していたと思う。苛めっ子の名前は今でもフルネームではっきり覚えている。仲良しだった友達の名前は殆ど壊滅的に覚えていないのに、恨みがある人の名前は大人になった今でも忘れないものだ。次々と虐めのターゲットを変えクラスのほぼ全員を苛めの標的にしてきたボスざるは、卒業式前の数週間、クラス全員から逆襲の総スカン(無視)をくらって最後は泣きながら謝罪してきたことを覚えている。苛めっ子の末路を小学校の卒業式で見た感じがしました。

私が彼女のターゲット(無視の対象)にされた理由は、誕生日プレゼントをあげなかったから。友達にその事実を教えてもらい、数週間遅れでプレゼントをあげたら苛めは収まった。その他にも小さなイジメは何度もありました。無視の標的にされた友達と遊んでいたらランドセルや上履きを捨てられ、ボスざるが好きな男の子と遊んだら給食の残飯を机の中に入れられたり、机を廊下に出されたこともありました。苛められる理由は本当に些細なことで、整君(ミステリと言う勿れ)が言っていたように、苛めっ子のほうに問題がある、これに尽きると思います。彼女の家庭で何か問題があり(例えば家庭内暴力とか)その腹いせや鬱憤を誰かを苛めることで発散していたのかも知れません。

苛めていることに気が付かない、または苛めていない、遊んでいるだけだ、と主張するのは苛めっ子側の言い訳です。自分が同じことをやられたらどう感じるか?その人の立場になって考えれば容易に分かることです。苛められる側にも原因がある、と言う人もいるけど、だから、と言って苛めていい理由にはならない。

母が異変に気付きイジメを知った時、「全部話しなさい」と言って聞いてくれました。母は学校に抗議に行ったと思います。その後、大きな問題にならなかったことを考えると、イジメは隠蔽されなかったことにされたのだと思いますが、それでも耐えられたのは、私の場合、母の存在があったからです。苦しみを理解し寄り添ってくれたおかげです。私にとって家族は一番の理解者で何をしても許される唯一無二の存在で、決して疑いようのない無償の愛だと確信できるものです。

悲しみを共有してくれて一緒に泣いてくれました。辛い時悲しい時、誰かが側にいるだけで、話を聞いてくれるだけで救われることは事実です。逆に誰にも相談できなかったり、理解をしてくれる味方がいない人は不幸な人で気の毒に思います。イジメをする人や他人を攻撃する人、SNSで誹謗中傷を繰り返す人は、そういった問題を抱えている孤独で寂しい人が多いのではと感じてしまいます。

最近イジメを”ポピュラーな遊び”と表現したことで話題になりましたが、昔も今も閉鎖的体質は変わりませんね。SNSがない時代は表面化することはあまりありませんでしたが、イジメがない学校なんてなかったのではないかと思います。これからもイジメがなくなることはないと思います。だったら、どうすればいいか?周りが助けてあげることです。一番近い存在の家族が守ってあげる。愛されている、理解してくれる、同じ痛みを感じることができれば子供は安心すると思います。

私は叱られるとすぐ凹み、褒められると調子に乗るタイプ。昔から”悔しい”という感覚があまりないので、闘争心を煽って伸びる性質ではなかった。母親は私の性格を良く理解していたので、叱咤激励するようなことはなく見守りながら注意深く観察していたと思う。道から外れそうになった時は軌道修正し、間違いがあれば厳しく正し、良いことは褒めてくれた。至極当たり前のことだけど、これが良いことと悪いことの分別、良識の範囲を養うことに必要な親の教育であり役割だと思います。放任主義で自由に育ててもらったことが私にとって良かったのだと思います。

「生まれてきてくれてありがとう」に対し「生んでくれてありがとう」愛子様が青年会見で仰ったことに感動しました。私が二十歳の時は「なんで生んだの!生んでくれなんて頼んでないよ、勝手に生んだくせに」と悪態をついて親を悲しませていた最低な親不幸娘でした。

毒親だったり虐待だったり底辺ドキュンだったり、親ガチャに外れた人は生まれながらにハンデを背負うことになります。親を選ぶことはできない。親子間、親戚同士などで骨肉の争いをしていたり、殺人や事件など悲惨なニュースを見る度やるせない気持ちになります。何不自由なく育ててもらった私は恵まれている。常識ある両親の元に生まれたことに感謝し、今更ですが(気づくの遅すぎ)報恩謝得の精神で残りの人生親孝行していきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。