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子供がいない私たちの相続について

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以前、夫に遠い親戚からの遺産放棄を願う書類が届いたことがあって、「放棄するのに、日頃付き合いがない遠い親戚であっても連絡をとらないといけないんだ、面倒だね」と話したことがありました。その手紙には、少ない財産なので、夫の相続分を放棄して欲しい、というような内容の手紙が同封されていたようです。

子供がいない夫婦の相続について調べてみると、被相続人の親、親が亡くなっている場合は兄弟姉妹、兄弟姉妹もいない場合は、夫のみが法定相続人となり、親、兄弟姉妹ともに亡くなっている場合は、姪・甥が代襲相続となる(傍系血族の代襲相続が認められる範囲は一代限り)ようだ。

自分が ”今” 突然死んだら?両親が健在なので、法定相続人は配偶者と両親の3人となり、配分は、配偶者3/4、父1/8、母1/8になる。例えば1000万円の遺産があったとして、夫750万、父と母がそれぞれ125万の計算だ。

夫に250万わざわざ放棄して欲しいと言わせるもの気の毒だし、かと言って、250万円を届けさせるのも気の毒だ。両親に財産を渡したくないと理由ではなく、微々たる財産で年老いた両親に面倒な手続きで迷惑をかけたくないし、そもそも私の財産など必要としていない。私の遺産だと渡しても困惑させるだけだ。

何故私が ”今” 死ぬ想定で考えるようになったのか。

それは5年前、兄が交通事故で亡くなったからです。突然の出来事で呆然としながら、やらなければならない手続きに追われ疲弊している両親を目の当たりにして、もし、私が両親より先に突然死ぬようなことがあったとしたら?と考えるようになりました。

夫に全ての財産を相続させる内容の遺言状があれば、両親に余計な負担をかけないですみます。兄の死後、早速遺言状を書きました。私の死にショックを受けているだろう両親に追い打ちをかけるような遺産相続の話などさせてはいけない、今のうちに出来ることはやっておこうと思ったのです。

母に遺言状の話をすると「先に死ぬなんて許さないから」と怒られたが、自ら死のうだなんて思っていないし、兄だって死にたくて死んだのではない。でも、いつ死ぬかなんて誰にも分からないし、明日生きてる補償などどこにもない。

遺言状の他にも、私に対する依存度が高すぎる夫の為にエンディングノートを作成することを思いつき、色々と調べ始めています。お金や株・証券の相続方法や、家の処分についても考え始めました。

夫の法定相続人は義理の兄(亡くなっている場合は代襲相続で姪と甥)になる。義理の兄が生きていれば兄一人が相続なので問題ないが、姪と甥の二人で相続となる場合には、家を残されても困るわけです。分けて相続するには売却して現金化する必要があるので、生きているうちに考えておかないと迷惑をかけることになります。

今の心配事は夫があまりにも私に頼りすぎていることです。全部やってあげてしまった(甘やかしすぎ)私が悪いと言えば悪いのですが、私がいなくなったら夫はどうなるのだろう?と心配になります。食べ物がなくて買い物にも行けなくて家で干からびてしまうのではないか…、それくらい心配になります。いざとなったら、案外何でも自分でチャチャッとやるのかも知れないですけどね。

最近コンビニに一緒に行った時、タッチパネルでタッチレス決済していたら「コンビニで買物できない」と言い始めた。現金でも支払いできるから大丈夫、と言うと、それ以前の問題でタッチパネル操作が分からない、と。芸能人が電車に乗ったことがなくて切符の買い方が分からないのと同じ理由なのか?半分呆れながら、次回は夫に支払いをさせてみようと思いました。キャッシュレス決済、一個くらいはやらせてみようかな?

パートナーへの依存度が高ければ高いほど、パートナーを失ってからの喪失感で後を追うように亡くなるという記事を読みました。気持ちが萎えてしまうことが原因でしょうか?介護していた夫(もしくは妻)が亡くなって、数か月後に亡くなる方って、この人を看取るまでは死ねない、という使命感だけで生きてたのかもしれないですね。

父の介護で疲れている時の母との会話

私「お父さんが亡くなったら生きる目的失ってすぐ逝くかもよ」

母「そんなことない。私は一人でも楽しく生きると思うよ」

生きる、生きたい、死ねない、という強い思いが生命力の源になっているのかも知れない。その点で”後追い”で亡くなるケースは圧倒的に妻への依存度が高い男性の方が多いらしい。女性は強いのだ。そう考えると、お産が女性にしかできないことに合点がいく。10ヵ月も子供をお腹で育てるだけでも大変なのに、女性はたくましい。

おそらく母も父の介護から解放されたら、やりたい”何か”があるのかも知れない。5年前、兄が亡くなった時は憔悴しきって今にも死んでしまいそうだった両親がここまで元気になれたのは”時間”のおかげです。傷を癒すには時間が必要だし、裏を返せば、どんなに辛いことがあっても時が解決してくれる、ということです。

エンディングノート完成にはまだまだ時間がかかりそうですが、書き残すことと並行して、二人で色々話をしておくことが大切だと思っています。延命治療はしないこと、使える臓器は全て提供すること、葬儀はしないこと、お墓は持たず散骨か樹木葬がいいこと、などは日々会話の中で伝えています。

終活なんて、まだまだ先のことのような気がしますが、結婚から14年、時の過ぎる速さを考えると、老後とか相続とか死が遠い遠い未来のことではないと思います。

団塊の世代の子供である私たち世代が高齢者になる15年後がどのような世界になっているのか、車はガソリン車がなくなって、電気自動車が主流になっているのでしょうか?

健康寿命を延ばすためにストレスフリーを目標に今を生きていますが、目下の夢は夫と日本全国車で巡ることなので、車がどのようになっていくのか?に興味があります。

遠出が憚れる世の中がこれ以上続きませんように。

お読みいただきありがとうございました。