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東日本大震災を経験して分かったこと

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その日はたまたま母と約束があり、市内での用事を済ませて実家にいた。地鳴りがしてドスンという大きな縦揺れと細かな振動があり、その後しばらく大きな揺れが続きました。冷蔵庫が倒れそうになり慌てて抑えたことを覚えています。

揺れてすぐに停電になったので津波の情報はラジオからでした。夫を始め親戚や知人が全員無事だったことが何よりでした。2009年から住み始めた新居(海から約5キロ)が心配ではあったが、ラジオや関西在住の姉からの情報では、家周辺の被害状況は甚大らしいと聞いていたので半分諦めていました。家の被害状況が確認ができたのは一週間ほど経ってからでした。

不幸中の幸いで建物自体は残っていて床上浸水の状態でした。建物自体に被害はなく、洗面所のクッションフロアー、和室の畳は張り替えが必要でしたが、フローリングの床は張り替えることなく使えています。一刻でも早く基礎に溜まった泥水を汲みだしたい気持ちがあり家に戻りましたが、余震続きで避難指示があり、結局焦る気持ちを抑えてしばらくは内陸にある実家に身を寄せることにした。

津波の被害がないところでは被災地とは違う大変さがありました。物が買えない、食料調達の難しさです。買物の列に何時間も並んで待つことは高齢の両親には難しい事でした。避難中に出来ることと言えば、買い出しくらいだったので夫と二人で買物の列に並ぶが、2時間待って数点購入できればいい感じでした。

電気の復旧が思ったより早かったので助かりました。ガスの復旧には数か月かかったと記憶しています。結局家の片付けを始められたのは4月に入ってからで、家に戻ってからは避難所ではなく被害がない二階での生活が続きました。

被災地域では救援物資が豊富だったので、主食の他にもお菓子やパン、レトルト食品まで何不自由ありませんでしたが、内陸の実家近辺には救援物資が届くことはなく買物も個数制限があり苦労しているようでした。何とか物資を分けてあげたいと思いましたが、ガソリンの入手困難が続いていて道路もガソリンを求める車に占拠され渋滞が起きていて容易に動けませんでした。

片付けに没頭すること2週間、エコキュート修理が終わり温かいお風呂に入った時の嬉しかったこと。一か月振りの我が家でのお風呂です。5月には普通の生活ができるようになっていました。7月には添乗の仕事にも復帰しています。私が住んでいる地域は他の被災地と比べるとかなり復興は早かったな、と思います。

家の修復も年が明けた直後に完成し、今は和室の柱に浸水の跡が残るだけで、被災した跡形は殆ど見られません。築10年目の点検時にも「浸水したとは思えないくらいキレイです」と感激されました。

被災者生活再建支援金や住宅修理補助金の申請で役所とかなり揉めたり難儀なことも多くありました。被災してからやることが多くて大変です。もっと簡素化できないのか、と何度も思いました。この条件から外れるからダメ、この書類がないからダメ、あれこれ理由を付けられて何度却下されたことか。お金を出したくないのか、と思ってしまいます。結局は補助金をもらうために必要のない床の張り替えをする羽目になりました。親方には、耐震が弱まるからできればこのまま使いたい、って言われたのに!お役所はお堅く融通が利きません。お役所に限らず政府にも言えることですが、有事には柔軟に対応してほしいものです。

水のありがたさも痛感しました。電気より水問題のほうが深刻でした。まあ、遠い遠い昔には電気がなかったことを考えると、なくても死ぬことはないと思うので電気がしばらく使えなかったとしても大丈夫なのでしょう。私が被災した時もそうでしたが、レジが使えないので、カード類は一切使えず、現金のみでしたから、キャッシュレスの世の中にはなりましたがやはり現金も常に財布に入れています。

人の善意と支援にも感謝です。温泉を無料で開放してくれたり、片付けを手伝っていただいたり、支援物資もたくさん頂きました。ただ、盗難や奪略も多く発生していたのも事実です。悪いことをする人はどんな状況下でもお構いなしなのです。町内でもかなり注意喚起されていました。やるせない気持ちになります。

大切なことはまず身を守ること。そして備えること。キャンプ用具一式あると数週間は過ごせます。大型家電や家具は転倒防止対策をして、ミニマリストではないですが物は極力置かないようにしています。一階で使っていた多くの物は水に浸かり処分したのでスッキリしています。落ちる物がなければ片付けもラクです。

連絡が途絶えた時に備えて、家族と待ち合わせ場所を決めておいたり、伝言ダイヤルを使う事など、決まり事を作って共有しておくとよいと思います。普段からカップ麺、レトルト食品、缶詰、お菓子類を常備しておくようになりましたし、水は特に重要なのでポリタンクに常備しておくようになりました。ある程度の備蓄があればとりあえずの混乱を避けることができます。生きていればどうにでもなる、ということが震災を経験した私が一番強く感じたことです。

震災からまもなく11年。だんだん風化されつつありますが、またいつ起こるか分かりません。備えあれば患いなしです。自然破壊が進んだせいなのか、自然災害が多くなっているような気がしてなりません。災害頻度もですが、災害規模の大きさも尋常ではないように感じます。天災に加えて人災も原因なのでしょう。戦争が起こる世の中ですので、何があってもおかしくありません。でも、もう二度と懲り懲り、というのが本音です。

お読みいただきありがとうございました。